『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第一章・インド洋をこえてヨーロッパへ ==

おの此度このたび 西 旅立たびだち しけるその 道筋みちすじつき をば只のち の日に忘れじとまで に、其荒増あらまし書綴かきつづ るになん。
大和やまと ことば などもと より習はぬわざ なれば、ふみさま なき、ことばととのは ざるなど、只々わらひ ぐさ とのみ思ひこそすれ、賞称ほめたた へられんとの心にはあら ずかし。
漢詩からうた を幼きおり 二百首あまりもはべ る。此みち すがら思ひ づるままつらはべ る。
みちふみ など携へざれば、こも同じくふし しき、文字もじあやまり など、しるおく も恥しとこそおも はれ、只打棄うちすて んものを、紙のあまりに写し申侍るになん。
明治三十年菊月九日 紅海の浪おだやか なる日  武夫しる す」

明治三十年水無月二十日あまり六日の昼、露西亜留学と云へる忝なき命を惶みぬ。兼てよりの志玉の緒のあらん限りはと迄思ひ侍ることなれば、其嬉しさは中々筆に尽じ。
一封恩命下 男子感知遇
万死酬無処 勿忘国家躯
旅路の身装、呉大阪あたりの見廻りなど五月蝿ことは畧きつ。望月七日と云へるに村上主林主と共に多数の人に見送られ、花の東の新橋より旅立ち、横浜の西村方に泊りぬ。仏蘭西の 「さらせん」 に乗り、此処にも友達に送られて、午前八時半に纜を解き八重の潮路に浮び出ぬ。

千辛万苦不回頭 男子只知国家酬
畢竟前途春似海 悠然笑向鄂羅洲

(九日) 七時過ぎて船は津の国神戸の港に入りぬ。其日は、このあたりの友四、五人と共に宇治川の 「常盤」 にて終夜酒を飲みて語り明かし、明くる朝、後の逢瀬を契つつ船に上り、瀬戸内を通り、いつしか門司の瀬戸を過ぎて、明くる十一日壱岐つ島を後ろにみて、其れより日々に故郷の地を遠りつ。
そののち舟路も漸く荒れ、浪高く揺れ始めて、人の悩むの多かりき。只吾々三人は、長の月日海にをひ立ちしものなれば、安らけく打消光 (ウチスゴ) しつ。

十三日に唐土 (カラクニ) の呉淞 (ウースン) に錨を投げ入れぬ。陸に上りて、音に名高き上海を見廻りて、[警備艦] 「筑紫」 「大島」 の人々とも打語りて、興じぬ。
其港の賑しきことと、唐土人の夥しきことと、紅髯 (アカヒゲ) どもの誇り顔なるは、殊に目に留りぬ。

船過鬼界又琉球 落日雲迷鶻影幽
回首解纜九僂指 入眸青黛尚神州

香港には十八日の朝つきければ、 「びくとりや」 山に上がり、又街々などそぞろに歩みて、夕方船に戻りぬ。港には五つとせ前に七日余りも泊りたることなれば、再び云に及ぶまじ。

即知東海大門関 陸擁砲台艦壓湾
又見経営余力在 鍵車直上女王山
     鍵車トハ ケーブルカー ヲ指ス  女王山トハ ビクトリア山 ヲ云フ

この夕べより三度夜をねて、廿一日の朝、東雲に柴棍河 (サイゴンカワ) に入り、九十九折りなる河を溯 (サカノボ) る。
四時あまりにて柴棍に着きぬ。昼は植物園、夜は市街など行きて熱き日を暮しつ。此地は仏蘭西に占められて、見る物皆腹立しき至にこそ。

嘆息東洋武不揚 西人到処肆鴟張
安南又属仏蘭国 千里江山三色章

暑苦しき一夜を過して朝船は河を立出て新嘉坡 (シンガポール) に向ふ。此間暑ささまで酷しからず。
浪の上もいと安らかなり。廿四日には朝早く新嘉坡にあり。陸に上りて公園、街などを見、暮方船に帰りて、又先へと進み行く。新嘉坡は、思うに増して賑しく、云はば東洋の門口。こも又英吉利領とは情なき次第にぞありける。

誰使神州我武揚 海権長占太平洋
東風何日新嘉坡 岸上高飄旭日章

印度洋は流石に白波高くうねり長しとは云へ、悪しき天候には非ず。日数へて錫蘭 (セイロン) の古倫慕 (コロンボ) に廿九日入りぬ。波防のををしきことと土人の到処銭を乞ふことに驚かされぬ。
釈尊の寺など詣でたれど、難有き心は起らず只々情なき心地のみ増るなれ。

街頭到処乞銭人 国破山河感又新
遺恨千年争接仏 奈無法雨湿生民

ここに一夜の暑を凌ぎ、明る昼より五日と云へる菊月二日に同じく印度の孟買 (ポンペイ) に着き、 「どっく」 に繋がりぬ。
此地は人八十万にも余る棉の輸出夥しく、 「どっく」 など、人の目を惹くに堪るになん。

無数煙筒漲黒煤 棉花生産力雄哉
尤驚一道飛虹没 百及帆檣排閘来

領事に道しるべせられ車を駆たるのち、なほ夕餐の手篤き待遇を蒙りぬ。夜は又もや船にて寝苦しい思をなしぬ。
明る三日の午刻、 「どっく」 を去る。暑至て弱けれども海の上漸く悪しく、二日、三日と揺られ揺られて后八日と云ふに亜丁 (アデン) の港にぞ寄ける。
ここも亦亜細亜人の地にあらで、口惜しくこそ覚ゆれ。

万国無公法 人間力是権
日東西向去 到処是皆然

其夜半錨を揚ぐ。これより名を聞くだに暑さを覚ゆる 「レッドシー」 も、翌る日こそさこそとこそ思ひつれど、其後は風涼しく、秋の中なれど月影さも、涼なり。

舷頭何物入吟聯 海濶天空両大洲
回首鵬程八千里 長風杖剣賞中秋

十二日の暮方に蘇土 (スエズ) に着き、翌朝運河に入り、其夜十時に 「ぽーとせいど」 へ錨を投込みぬ。

蘇土運河鑿 功推励節夫
千年遺沢在 天下仰雄図

其後四時を経、船は船錨を揚げて、地中海を進みゆく。 「クリート」 「イタリー」 「シシリー」 「サルジニア」 コルシカ」 など眺めつつ、日数経て、フランス国マルセールに入りたるは、十日余り八日の東雲にてありき。横浜より路のり一万五百三十一哩。梶枕四十一日と云へるに、八重の潮路の旅を終へ、これより愈々 「ヨーロッパ」 に陸の旅路を重ぬることとなりぬ。

起上舷頭何処秋 満眸楼閣暁光浮
鵬程一万三千里 已到欧南馬塞留

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