『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十九章・ Amitie かAmour か?==

レーヴェリを去る前の日の夕方、広瀬は散歩に出た。カタリネンタールまで五分毎に電車が出る。十二分ぐらいしかかからない。さすがに海辺は涼しい。涼を呼んでブラブラ歩いている人があちこちにいた。
連れて行って!。とせまがれて、アリアズナを伴った。彼女はいろいろな事を聞きたがる。タケオさんに関する事は何でも知りたいのという。父の死んだ当日に慰められた事は不思議な暗合でしたねというようなことから、いつか兄の事に話が及んだ。フィンランド湾の涼しい風に吹かれながら、彼女は熱心に兄の事、姉の事を聞きたがった。
勝日呂は今年三月最新式の巡洋艦 「笠置」 の副長に栄転して、今は海上に暮らしている。潮風に染まった兄の顔が目の前に浮んできた。
兄はこれまで、大臣秘官とか、鎮守府参謀とか、いわば陸上勤務の履歴に富んでいた。そのころの日本海軍部内では、海上生活でたたき上げた船乗り連中はまたそれだけで固まって、赤煉瓦組みをわが仲間とは見なさないような傾きさえあった。そういう偏見を持つ人々が多ければ多いほど、一艦の女房役たる副長としてあんな腕前があるのか、と連中をして見直し、呆れさせるような働きをして頂きたい。レ−ヴェリ湾頭に立って、兄の前歴を考えるともなく考えていた広瀬は、そんな感慨から今の我が身のあり方を反省していた。
アリアズナに向かって、広瀬は話しつづけた。
「私もロシヤ駐在が長いこと続きました。艦務につきませんから、もうあいつは船乗りじゃないぞなどと陰口を叩く奴らもいるという話を聞いた事があります。そう思われても仕方ありませんね。それだけ私は、日本に帰ったら、ぜひとも ア・サ・ヒ のような大戦艦に乗って、あっぱれ一人前の海上男児として充分な働きを示してやりたいものです。」
「ヤポーニャでも、あの黄金の襷を肩に吊るす役目の方がいっぱいいるのかしら。」
と彼女は尋ねた。
「そうですね。日本でも同じでしょう。ことにこの頃はそういう話です。バカなことですね。」
と答えながら、彼は、
「艦上勤務が一番大事なのだ。海軍としては、艦上勤務が一番中心だ。陸上の仕事その他は所詮それに従属するものでなければならぬ」 と心ひそかに叫んだ。
そう思うと、海軍本来の意義を明らかにする為に、兄のような中央部に深い関係を持つ、いわば陸上勤務の中心者だった人が、常備艦隊の一員として、身を以って範を示していただかねば、と兄の俤に向かってもう一度語りかけた。
この頃はやりの 「名士」 になって、偉そうにしている連中の中には、艦務に服することをまるで考えないらしい風潮さえ見えないでもありません。困った事でと、彼は呟いた。
「ロシヤ駐在が長すぎるって、いつかお帰りになるの。そんなに近いことじゃないでしょう。」
と彼女は不安げに問うた。
「ええ、早くて来年の夏でしょう、八月か、いや、九月になってからだと思います。」
とだけ答えて、彼は、上村少将が、日本に帰って、軍務局長の要職についたから、兄を通じて、しかるべくこちらの意志を諒承してもらおうとしたことには、一言も触れなかった。とにかく今年の冬はロシヤで送れるでしょう。あなたと一緒にソリを走らせたいな。あれは一番楽しいスポーツだ。思い出すだけでゾクゾクすると広瀬は目を細くした。
「それにしても暑いな。こんなに北の国が暑いのは珍しい。何十年かぶりというのも無理はない・・・・」
「お姉さまはどんなお方?わたしのことを何かおっしゃった事がありますか。」
「姉はよく気の付く人です。ほんとに利口というのでしょうね。」
「ロシヤ人だといって、けぎらいするでしょうか?私は日本の方がとても好きだけど・・・・」
広瀬はほのかに笑って、何とも答えなかった。

ペテルブルグ近くの別荘にパヴロフ博士の一家が夏を避けていた。一週に一度は必ず遊びに来てくれと招かれる。アレクサンドラ、マルタ、セルゲイ、パーヴェル と四人の子供がいて、みんな広瀬が来るのを喜び迎える。なかでも十才になる長女を見ると、日本にいる同じ年頃の馨子のことが思い出されて特別な親しみが感じられ、シューラという愛称で彼女を呼んで仲良くしていた。シューラの方でも馨子ちゃんの写真を貰ってくれとせがんでくる。
その頃、広瀬はロシヤの友人との付き合いが親しくなると、お互いぴんと頭にひびくロシヤ風の名前で呼び合うことを許してくれと頼まれた。パヴロフ博士の家でもそうだった。
早くロシヤ名をお付けなさいよと勧められていたので、いろいろ考えた末、タラース・イワーノウィチという名を思いついた。武夫のイニシャル 「T」 ではじまる言葉だし、タラース・ブーリバにあやかるなら、その剛勇ぶりは傾倒できるし、この間亡くなった父の俤さえ、その名の響きに含まれているように思う。
広瀬はタラースというのをわがロシヤ名の首字に決めた。ロシヤでは、もっと普通な呼び名 ── イワンの子を意味するイワーノウィチをそれに続けて、
「これからはタラース・イワーノウィチと呼んでください」 と頼んだ。
子供達は手を叩いて喜んだ。
「タケ兄さんもいいが、タラース・イワーノウィチの方がもっといい。これからは毎年今日を命名日にしてお祝いしなければいけないね」
と博士夫妻も賛成した。それは七月なかばのことであった。

タラース・イワーノウィチにたった一人の姪ならばあなたの愛する馨子ちゃんによろしく伝えてください。こっちからもお写真をあげたいなどとシューラはいう。
八月半ばのある日、この可愛い伝言を兄嫁を通じて東京に伝えた後、彼は、可愛い顔をした犬がちんちんしながら手紙を熱心に読んでいる絵葉書を送った。全文片仮名で、ところどころに姪の知っている程度の漢字をちりばめた。猫の先生が鞭を持って子猫に読み書きを教えている絵葉書と対にして、
「コンダハ、ネコノカワリニイヌノヱヲヲクリマス。私ハコンナアンバイニ、アナタヨリノ御手紙ヲヨミマシタ。 「ロシヤ」 ニオルオジノタケヲ」
と子供らしい便りを書いた。 「コンダ」 というのは 「こんど」 の意味で、大分県あたりの訛らしい。あいかわらず子供のような心になっていた。

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