三月も半ばになった。日脚もようやくのびた。夜の七時になってもまだ明るい。寒さだけは相変わらず厳しい。
毎日寒暖計は零下五、六度をさしている。十四度にまで下がった朝もある。ただ日中太陽が直射する場所だけは、ぽたぽたと雫が落ちている。その音を聞くともなく聞いていると、ロシヤの早春の訪れを感じた。
ある日、弟のオスカル・オスカルウィチと一緒に、マリヤ・オスカロヴナが広瀬の部屋を訪問した。
久しぶりに姉妹はゆっくり遊んでいった。広瀬の話は面白いし、気兼ねをする人は誰もいないし、もてなしに心がこもっているし、時計の針が進むのにも気が付かなかった。いつも話題になる馨子チャンの写真のそばに、可愛い子供の写真が一枚増えていた。
「 タケオさんの愛人がまた増えたのね」
と、からかうと、
「そうです。これが第二の愛人ですよ」 と笑って、
「大鳥という若い友達の子供です。おおミーリンカヤ!」
と、最大級の感情をあらわすロシヤ語と一緒に、マリヤ・オスカロヴナが時々見せる、頬ずりしそうな、さも嬉しそうな表情を真似てみせた。
オスカルも哄笑しながら、腹をかかえた。マリヤ・オスカロヴナは嬉しそうに微笑した。
もともと彼女はおとなしい女である。知的だが、暖かい人柄と、細かい事に気が付く温順な性質は、付き合いの長い広瀬にはよくわかって、なつかしくも好もしくも思われていた。
家事に興味を持って家族の世話をよくするのも、故郷の妹を連想させて、一刹那、映像は二重に乱れた。
登代子がもう若い身空とはいえぬ年をして、悲しい過去をかくし、ふるさとの家の老いた父のそばでさびしく送っているだろう一日、一日が、急に電光のように明滅した。
日本の女の運命が、ロシヤへ来て、そこの女の生活を知ってからみると、急に可哀想になった。
マリヤ・オスカロヴナは、立派な学者の娘である。国の妹よりは若い。でも時々さびしそうな憂い顔をする時があって、それがふるさとの妹のある時の表情にそのまま似通っているように思う。
今微笑した目の前の顔にも、そういう影がふとさした。それが広瀬をたまらない気持ちにさせた。悲しいと言っていいのやら、うれしいと言っていいのやら、自分にもよく分からない気持ちだった。
「私にも貴方に似ている妹があるのですよ」 と言いかけて、彼は黙ってしまった。
姉と弟が帰った直後に、コヴレフスキー少将が訪れた。かねて約束しておいた日は急用のため延びるから悪しからず思ってくれと断りにみえたのである。
来客のあった後の感じがまだありありと残っているその部屋の中で、少将はその人々が誰であろうかと推測した。ロシヤ人同志だから、広瀬に部屋に出入りするくらい親しくしている者はすぐわかる。若い男が一人いたらしいが、タバコは吸った気配がない。まだ少年だろう。どことなく女のにおいが残っていた。広瀬のそばにロシヤの女がふだんいるはずがない。誰だろう?。
少将は、食事の時、久しぶりで広瀬の部屋を訪れたと家の人々に語ると、タケオさんのこの頃のご生活ぶりはどんなふうですか、と夫人が聞く。まるで自分の子供のように可愛いという口ぶりである。
「相変わらずだな。今日は客があったらしい」 と、何気なくもらすと、黙っていた娘が眼を光らせて、
「どなた?」 と聞いた。若い娘のようだとは何だか言えなくなって、
「さあ、誰かなあ、客は二人らしかった。」
と、父は言葉をにごした。マリヤ・オスカロヴナの顔が、アリアズナの目の前に急に浮んできた。
彼女は翌日思い切ってまた広瀬の部屋の前に立った。扉を叩いても応答がない。せっかく花を持ってきたのに、飾ると喜んでもらえる相手が居ないとわかると、なんともいえぬ失望を感じた。あの人は在宅して、私が来ると不在なのかと恨めしかった。
門番に聞くと、外出したと言う。今日は宴会があるので遅くなると伝言してあった。
「名前など言わないでいいの、お帰りになったら、ただこの花だけをわたしてね」
と、彼女は門番の女房に頼んだ。
こういう人々に取り囲まれて、広瀬は、急に世心がつきはじめた・登代子からマリヤ・オスカロヴナを思い、マリヤ・オスカロヴナからアリアズナ・ウラジミロヴナのことを類推した。
合点が行くことが多い。たしかに世心はついたが、それは世心がつき初めた少年のように、潔癖で清らかなものであった。少年と同じ様に若い女の心の扱い方もよくわからないから、彼は兄が妹をいたわるような気持ちでアリアズナに対していたのである。
ここで広瀬の女に対する体験を考えておかねばならぬ。広瀬は母を知らない。八つの時に死に別れたのだから、いわば慈母の暖かみも、親しみもまるで知らないで育った。母のない子と憐れに思って、六十の祖母がただ可愛いの老いの一徹で育て上げた。
しかし、この祖母は孫の溺愛者ではなかった。無病息災で、腰も曲がらなければ、眼もよく見える、耳もよく聞える。とても利かぬ気のおばあさんで、孫の教育にも厳しかった。
孫には学業をもっぱら修めさせる。家の掃除も手伝わせ、来客があると、取り次がせる。躾はずいぶんやかましい。思いやりは十分あるが、愛情を露出しない。
広瀬は十六の時までこうして育てられた。それから東京へ出て、ひたすら学業に打ち込む勉学時代が続いた。若い女の雰囲気は全く知らなかった。兵学校を出る。海軍士官の末席に加えられた。
当時、日本海軍はまだ揺籃時代で、航海術も未熟だったから、板子一枚下は地獄だと言う考えが遍く行き渡っていて、船乗りに酒と女はつきものだった。若い連中が遊ぶなら仕方ないが、相当の親父まで先輩気取りで仕込むのだから、みるみる上達する。祖母から厳格なストイシズムを叩き込まれて育った広瀬には、苦々しくて仕方がない。
兵学校の卒業式の時だって、饗宴の後では、酒に酔いしいれて、普段威張り散らしている上官がへべれけになった醜態は見るに堪えなかった。軍人というものは、いつでも戦いが起るのに備えて、不断に覚悟して暮らさねばならぬと思い定めていた広瀬には、腹が立って、腹が立って、その夜よく眠れなかった。
酒は飲んではならぬ。一生飲んではならぬと言う覚悟は、その時から少しも変わらないし、実際また彼は飲みたいという欲求を殆ど感じなかった。
練習線に乗って、異国の港々を巡り歩くと、この時とばかり一夜妻にうつつをぬかす仲間も居る。のろけまじりに手柄話を得意になってぶつ仲間も居る。広瀬には別に嬉しくもなかった。そういう欲求がもともとあまり強くないのである。付き合いだから、話はニコニコして聞いてやる。宴会に誘われれば、幹事も引き受けて、酔っ払いを介抱し、世話もする。ただ美味い物を思い存分食べるのが目的だから、酒は呑まぬし、女など見向きもしない。変わり者だとひやかす奴も居たが、俺の生涯は、俺の心にかなったように、俺の手で作るのだと嘯いて、歯牙にもかけぬ。
はじめは兎角陰口をきいた連中も長く一緒に居れば、広瀬がべつに無理をしているのでもないし、偽善者でもないのがわかると、諒承して好きなようにさせておいた。
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