『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十九章・ Amitie かAmour か?==

その夜を境にしてアリアズナは変わった。彼女の胸には広瀬の面影が急に浮んできた。
前から我が家に出入りして、父も母も親しくしていた。その人柄はいつも賞めていた。セイゲルもいい人だというし、自分も兄のように親しみを感じてはいた。しかし外国人だし、ただ親しいだけで何と言うことはなかった。
それがこの間から急に思い出されて仕方がない。夜もよく眠れない。眠れぬ夜に比べることもなく、ロシヤの海軍士官たちと比べてみると、正反対なのに気が付いた。一番はじめに好もしいと思ったのは、ほんとうに嘘をつかぬということである。口にした事は必ず実行する。約束した事は必ず守る。花のような甘い言葉だけですり寄ってくる男達に比べると、あのお方は言葉を言葉としてだけ使うお方ではなく、男らしい行為の中に生きているお方だ。それにあの武芸の素晴らしさ!。あのお方ならきっと私を守ってくれる。私は生涯、ああいう強い、それでいて優しいお方に守られて暮らしたい。

そう思うと、急に何もかも変わってきた。広瀬のところへ飛んで行きたい気持ちが湧き上がってくる。
父母にも告げず、黙って広瀬の部屋を訪れることは、今まで一度もなかった。今日は訳もなくワクワクするような気持ちでエカテリンニンスカヤ街へ急ぐ。
96号の戸を叩くと、聞き慣れた 「ヴォイディーチェ」 (おはいり) と言う声がする。いつもは何でもなく入れる部屋だが、不思議に今日だけは磐石のように重いものが立ち塞がれているような錯覚さえ覚えた。
時ならぬ訪問に驚いた相手の目を正視することの憚られた。いつも見慣れた机の上には新刊のロシヤ語の書物が開かれて、その人は熱心にメモをとっているところだった。この人がそんなに熱心に打ち込んでいる書物が妙にねたましかった。
拝見させていただっけますか、と頼むと、いいですともと言う淡白な答えといっしょに、すぐ手渡してくれた。それは見慣れない軍艦の艦型図が何枚も入っている書物で、そのうちの一枚をその人は飽かず眺めていたらしい。
巾40センチ位の紙に描かれている軍艦の断面図の下には、プロネノセシチュ アサヒ (戦闘艦朝日) と書かれている。ア・サ・ヒ と一音一音区切りながら発音してみて、
「 ア・サ・ヒ とはどういう意味ですか。」
と尋ねると、
「 朝のぼる太陽のことですよ。日の出の事ですよ。朝の太陽のように清らかで、若々しく、力強くという心を込めているのですね。
私は去年四月にイギリスで完成したばかりのこの艦に乗りましたが、おそらく世界で一番新式な軍艦でしょう。ほら、ここに詳しい絵図があるでしょう。ご覧なさい」
と、その人は次の図面を開いて見せた。
それは船殼を縦断し、横断した図である。上・中・下甲板の構造、砲塔のしかけ、砲台の配置、機関部の構造などが精密に示されている。愛するものを問われた嬉しさを表に現して、その人はまるでわが命の断面図のように、説明してくれた。
女のアリアズナには、見慣れない軍艦の構造などどうでもよい。でも、その人が一度乗った事があると聞くと、急に自分に近しいものになって、その図面の線の上にその人の姿が動いているように思われた。
彼女は 「ア・サ・ヒ」 「ア・サ・ヒ」 とくり返して口ずさんだ。私がはじめて覚えた日本語。心を込めて覚えた日本語。その人とゆかりのある日本語。この日本語だけはいつまでも忘れまいと彼女は心の中で叫んだ。

「私の国はこういう艦を六隻も持っているのです」
と無心に言い放って、その人は嬉しそうに目を輝かした。
アサヒ、ヤシマ、と拍子をつけながら、彼女の耳には詩のルフランのように聞える艦の名前をくり返した。
アサヒ、ヤシマ、シキシマと、アリアズナは従順な生徒が先生の言葉の後を追うように、その人の言葉をそのまま鸚鵡返しに辿った。アサヒ、ヤシマ、シキシマ───
その人は不思議な音を繰り返した。ハツセ、フジ、ミカサ──ハツセ、フジ、ミカサ。
不思議に笑えなかった。イタリヤ語のように母音の多い妙な響きだけれど。
・・・・なんでも 「ヤシマ」 とは日本の古い名前で、 「シキシマ」 とは日本の別名だそうである。

「ハツセ、フジ、ミカサはみな日本の山の名前ですが、富士はおそらく世界で一番美しい形をした山でしょう。国の人は白癬を倒さに懸けたようだと形容します。東の海の上にその真っ白い扇がさかさまにかかっている様子を想像してみませんか。」
そう言いながら、その人は目をつぶって、まるでその山容を心の中にありありと思い描くような様子を見せた。
カフカズの山を見たことのないアリアズナにとっては、それは物語の中に聞く空想境そのもので、さて具体的に描いてみよと言われても、その人が思い浮かばせようとしている映像は、どうしても出てこなかった。
「ハツセ (初瀬) というのは、日本人の信仰の一中心をなす寺町の山の名ですよ。ミカサ (三笠) というのも、日本人の信仰しているお社をまわりから守っている、そう、女の人がかぶるでしょう、あの笠──日本のボンネの形をした美しい山の名ですよ。」
いつものように親切に、また精通しているため、ほんとにわかり易く、その人はその六隻の軍艦の名を教えてくれた。
さっき見ていたあの本の 「ヤポーニャ」 (日本) というセクションを開いて、も一度アサヒ、シキシマ、ナツセ、フジ、ミカサと口ずさんだ。その頁の上に置かれたその人の大きな手が忘れられない。意外に黝くなかった。 あの広い太平洋を帆走軍艦でオーストラリヤの南まで渡ったことがあるというが、新式な汽船で印度洋も地中海も乗り切ったというが、それにしては思ったほど潮風に黒ずんでいない手であった。
ロシヤ人のように毛深くない。まるで子供の手のような生毛が可愛かった。その大きな手の押さえている頁のアラビヤ数字が714であったことを、彼女はいつまでも記憶の中に刻み込んだ。

「美しい名前でしょう。日本は美しい国だから、日本人はみな美しいものを愛します。どんなに堅牢な新式な大軍艦にも、我々は日本人の連想を限りなく刺激する詩のような美しい響きを持った名前を与えるのです。小さな素早い水雷艦艇にでも同じですね。
霧が立ちます、雨が降ります、夜が明けます、春の野に小さな虹が立ちます。鳥が飛びます。その名をみんなつけました。アサギリ、ユウギリ、ハルサメ、ムラサメ、シノノメ、アケボノ、オボロ、カゲロウ、チドリ、カササギ、ハヤブサ、マナヅル───」
と、また不思議な階音を、その人は夢見るように口ずさんだ。

「いいでしょう。私たちの国では、こういう美しい名前があの力強い一番新式な軍艦につけられているのです。
そりゃあロシア人だって 「グロモボイ」 (雷) のように、ヂヤナ (月の女神) のように、 「バーヤン」 (中世の詩人) のように、我々外国人が聞いても美しいなと感じるものもありますが、どっちかというとその数はあまり多くないでしょう。帝王とか、偉人とか、勇将とか、古戦場とかの名前が主ですね。それも趣がないわけではありませんが、日本のとは大分違います。力は強い、しかし心は優しい。姿は美しい。これが我々日本人の理想なんですね。」
そういう言葉で話を結んだその人は、アリアズナの目をじっと見すえた。

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