1901年一月の末である。 街も家も雪に埋め尽くされた。河も凍った。ある夕べ、コヴレフスキー邸でロシヤの上級海軍将校たちの晩餐会が開かれた。広瀬も招かれていた。
席上、盃の数が加わるにつれて、話はいよいよ面白くなり、それからそれへと話題は転じた。
イギリス、フランス、ドイツの海軍や、造船所の状況を見て最近帰って人がいたので、それが話題の中心を占め、職掌柄、色々な質問や忌憚のない感想がとびだした。
自国の話になると、なかなか意見を言わないロシヤ士官達が、外国の海軍を批評すると、歯にきぬをきせぬのも面白い。彼等の意見を総合してみると、大体次に酔うな結論になりそうであった。
イギリスの海軍は確かに強い。ただ世界一だという印象を無理によそに押し付けたがる。他の国の感情などは少しも顧慮しない。けれど実戦の場合、はたして上手くいくかどうか。それに海軍の制度が、その時の政治状況で左右されすぎる。海軍を知らない政治家が海軍を思いのままに使えるところに非常な欠陥がありそうだ。
アメリカの海軍は本当の試練を受けていない。射撃術が上手だ、水兵が勇敢だ、という記事が、でかでかとイギリスの新聞に出ているが、98年七月サンチャゴの戦いでは、百発打って二発あたっただけではないか。水兵は訓練をあまり受けていないから、たいしたことはあるまい。イギリス人はアメリカにお世辞を言えば、アメリカが味方してくれると思い込んでいるが、はたしてそんなに上手くいくものかどうか。
エスパニヤは勇敢だ。バカなこともやるが、そんなに悪くない海軍だ。イタリヤはよくない。フランス人だってイタリヤなら負かせるだろう。そのフランスは、とにかう立派だ。独創的な考えで、事柄を上手く処理している。ロシヤとは特別に親しいから、ロシヤ側のやり方をよくわかってくれている・・・・。
こんな意見が遠慮なく飛び出したが、もっと身近な諸国になると、調子が真剣になってきた。ドイツ海軍は、陸軍が海に浮んだようなものだと決め付けたが、その兵士は立派だ。まだ小さな海軍だが、よくやっている。あれが大組織になった場合にどうなるかが見ものだ、と用心深そうな見方をしたが、オーストライヤは士官がいい。大変立派な海軍だと褒めていいだろう、今あるままでだ、と激賞した。
西隣のスウェーデンも評判がよかった。非常にスマートな、小海軍で、おそらく世界中で一番腕前がいいだろう。あれはたしかに立派だというので、広瀬が、日本はどうですかと口をはさむと、我々ロシヤ人はいったいに日本人を好かない。もっともイワン・イワーノヴィチや君は別だよ、といって、一人の将官が哄笑した。悪意のない笑い方であった。みんな同じ考えらしかった。少しも不愉快な気がしなかった。イワン・イワーノヴィチというロシヤ風の呼び方で通用しているのは、野元大佐の事である。
野元と打ち合うのは厭だな。いつだっけ、野元に向かっては、もし戦争になるようなら、お互いに乗る軍艦だけは明かすまいと言った事がある。たとえば
「シキシマ」 級のピカピカ光る十二吋砲がこちらに向き直って、じっと狙いをつけているとき、イワン・イワーノヴィチが艦長だと思うと、こちらの敵愾心も湧かんじゃないか。
と、その将官は言って、又笑った。そのあとは、── 日本の海軍は立派だよ。立派すぎるね、と言っただけで、かんじんの答えは、批評めいた内容を一言もはさまなかった。
コヴレフスキーがはじめに広瀬を列席の人々に紹介するとき、このヒロセ君という海軍将校は武術にかけては達人で、何一つ出来ぬことはありません、と褒めておいたものだから、食後、別室でくつろいだ時、一人のロシヤ将校が、日本には柔術というものがって、日本人なら誰でもやれるということですが、あなたも、もちろんご存知でしょう、と話しかけた。
主人がそれを引き取って、出来るとも、出来るとも、この方は柔術のベテランだよ。ひとつここでやって頂いてはどうだろうと、周りを見渡しながら一同にはかった。たちまち賛成の拍手が起った。一人の大男の少将が突然、右手を差し出して、さあやってごらんなさいと言いながら、つつ立って構えていた。
ヒロセは苦笑して、
「日本の柔術というものは、そんなものではありません。私がこれから柔術の説明をいたしますから、まずその椅子におかけ下さい」
と指示した。
背は高いし、大男だし、身体中に力を入れて立っているから、そのままの姿勢では、思う存分投げつけられなかったからである。
広瀬の説明を聞いて、なるほどと合点した将官はそばにあった椅子を引き寄せて、それに腰をおろそうとした、気合が少し抜けてゆるんだ気配を見て取ると、広瀬はすかさず
「こんな風にやるのです!」
と叫びながら将官の右手を取って、ドシンと地響きもろとも部屋の真ん中に投げ出した。その形がすこぶる見事であった。大男の将官は驚いて、腰をさすりながら、
「日本の柔術コワイコワイ!」
と叫んだ。
その愛嬌のある言葉が万座の空気を和らげて、広瀬の武芸に対する感歎の声は部屋中に湧いた。
広瀬は五尺六寸もあるから、日本人としては大男のほうである。決して太刀打ち出来ぬほどの小男と思われてはいなかったが、相手の虚をつくその機転、大の男を手玉にとって投げつけるその武勇が、一座の人々に驚くべき日本人という印象を深く刻み付けた。広瀬びいきのコヴレフスキー少将夫人などは大喜びで、いつまでも手を叩いている。
「ヒロセ君に乾杯!」
という声がどこからか聞えて、一同の盃には酒はまたなみなみと注がれた。
片隅にたってじっと見ていたアリアズナ・コヴレフスカヤの目は輝いた。頬は上気して、耳まで赤く染まった。彼女は物を言わなくなった。いつまでも広瀬の顔に見とれていた。
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