『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十九章・ Amitie かAmour か?==

広瀬がロシヤに来て初めて優遇されたのは、フォン・ペテルセン博士の家であった。
ペテルブルグ大学教授で、有名な医学者である。ごく気さくな人で、八代先輩とはことに親しかった。
八代の紹介で広瀬もその家庭に出入りするようになった。男の子が二人いた。十七になる長男オスカルは、どういうものか、広瀬にことに慣れ親しんだ。 「われをこよなき年長の友」 とみたと広瀬が後に自記したほどである。
姉はマリヤ・オスカロヴナといった。年のころは二十一、二だろうか。背は高いが、スカンジナヴィヤの血を享けて、文字通り金髪碧眼である。額が広く、知的な顔をしている。ごくおとなしい、やさしい人柄で、そのゆかしい立居振舞いが広瀬の心にしみじみとうったえた。

姪の馨子が切手を集めていると聞くと、マリヤ・オスカロヴナはすぐロシヤの切手を集めてくれた。その切手はいつかたまって、百枚になり、五百枚になった。八百枚になり、千枚になった。別に何もいわぬが、その暖かい心は通ずる。
広瀬は彼女と往来するごとに、なんとなく心のときめきを覚えた。広瀬の暖かな、それでいて男らしい人柄は、父の博士も、弟のオスカルも十分認めて、日本人には立派な人がいると口癖のように言って、いつの間にか日本びいきになった。
それからは広瀬の友達のうちにも、いつの間にかフォン・ペテルセン家に招かれる人がでてきた。日本の参謀本部から派遣されていた留学生町田経宇少佐なぞは、時々出入りしていた。
この一家の親愛の情がマリヤ・オスカロヴナにひびかない筈はない。彼女はおとなしい女だから、別にあらたまった事を広瀬に言わなかったが、まえよりはしげしげと遊びに来る。音楽会に誘ったり、舞踏会の時相手になってくれたりする。

これにひきかえアリアズナ・ウラジミロヴナ・コヴレフスカヤは生一本だった。年は十八才になったばかり。背はあまり高くない。豊頬で、スラヴ人好みの愛嬌のある可愛い顔をしている。
肌は白い。目はキラキラかがやく褐色、髪は亜麻色である。気立ては明るい。無邪気な娘だとばかり思っていたのに、急に女になったように思う。北国の春が来ると、桃も、梨も、杏も、一時に花が咲き乱れるように、アリアズナは急にからだも心も成長した。魂の目がぽっかりと開いたのである。

アリアズナは貴族の娘らしく、厳重な躾を受けて育った。はじめ家庭教師について、知識を授けられた。打ち込むたちだから、好きになった学科はよく勉強した。それからエカテリーナ女帝が創った貴族学校に通った。ここは女生徒をいずれは家庭に入るものとして、躾や礼法をやかましくいう。もちろん中等程度の学業も授ける。
彼女はここでも優秀な成績をあげた。仲間の若い娘たちのうちには、はっきりしない女もいる。おろかな女もいる。気性がはげしいから、アリアズナはそういうタイプが大嫌いだった。
物質には不自由なく暮らしているので、貧しい人間がこの世の中にいるのを不思議に思い、社会正義の観念もちょっと目覚めたけれど、それはあまり発達はしなかった。ただ病に悩む不幸な人間を憐れむ気持ちは強かった。彼女は女になって、だんだん男を見る目がいつの間にか出来てきた。

父の少将は善良な人である。どこか学者肌で偏屈なところもあるが、いかにも穏やかで愛情にあふれている。不平を言う理由はないはずなのに、なんだか少し物足りなかった。ただ善良というだけでは、彼女には物足りなかったのである。
アリアズナには兄が二人いた。セルゲイ・ウラジミローウィチは1895年兵学校を卒業した海軍少尉でもある。アナトリーはなだ海軍生徒だ。
この兄たちの縁故で、彼女の周りには若いロシヤの士官が時々遊びに来た。なかにははっきりと好意を示して、彼女の心を獲ようとする者もいた。ドミトリ・ミハイロフ大尉とか、ピョートル・ウラジミールスキー中尉とかは、その旗頭であった。
みんな貴族の出身で、顔立ちも美しいし、優しいし、金離れもいいし、彼女は一時夢中になって、この若い士官達と深く付き合った。

しかし、だんだんその人柄と生活を見聞きしている内に、彼女は物足らなさを感じだした。
海軍士官といっても朝は遅い。従者がいて、着物を着る時だって手伝いさせずには着られない。四、五時間役所で勤務した後、帰宅して晩飯を食べる。十時になると夜会服に身を飾って、夜会に出かけ、真夜中にならぬうちは帰らない。トランプをする、酒を呑む、夜食を食べながら宗教や、哲学や、文学を談ずる。真面目に政治問題を論ずる時もあるが、話の調子は何とも言えず皮肉である。女がいると遠慮がちになるが、その見方は少しもロマンチックなところがない。極端に言うと、ヘンに肉体の方面にばかり落ちていく。それがアリアズナには妙にいやだった。

遠くから見ていると好もしいと思われた若い異性の実体も、つきあってみると、こんなものかと思うと、急にさびしくなった。あらてめて見直してみると、彼等は肩幅が意外に狭い、目の光は確かに善良だが、ただ善人だというだけなのが物足らない。
あの方々は身分がいいのに安住して、その日その日の生活に満足して、退屈しながら生きている。あそこが物足らないのだと思う。私もああいう灰色の生活の中に、いつの間にか巻き込まれてしまうのかしら。気がついたときはもう二度とないこの命をすり減らしてしまっているのなんて、たまらない。
上役にしかるべく取り入って、定りきった仕事をなるたけ楽にやっているうちに、上役の出世といっしょに引き上げてもらうことばかり考えているのかしら。こんな人のそばに一生涯くっついているのじゃ我慢できない。
ペテルブルグの社交界では、話の調子がみんな皮肉になると聞いたけれど、あれは誰でもみんな本当に生きていないからだろう。
ああ、はっきりした目標を持って、精かぎり根かぎり、命のあらんかぎり、打ち込んでいるというようないさぎよい男の人はいないのかしら、そう思うと、急に周りの人々が頼りなく思われて、彼女は駕籠の中で誰かを待っている鳥のような心になった。

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