『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十七章・ 「タラース・ブーリバ」 その他の文学==

エカテリーナ女帝の御代の話で、プルガチョーフの反乱を背景にした 「大尉の娘」 は、ひどく気に入った。 主人公である若い士官グリーニェフの人柄も、忠僕のサヴェーリーチの人柄も、好もしい。
ベロゴールクスの要塞でグリーニェフは司令官の娘マリヤ・ミローノバに出逢う。マリヤの気立ても心を惹いた。恋いがたきシェヴァーブリン中尉に色々邪魔をされるうち、反乱軍のプガーチョフが現れて、要塞を陥れ、大尉を殺す。しかし、前にそれとは知らずに助けられた事があるので、この乱暴者もグリーニェフとマリヤの命だけは助けてくれた。
乱後、グリーニェフは、反乱軍と接触しているという理由で、反逆罪に問われ、投獄されるが、マリヤの働きによってエカテリーナ女帝の大赦を受けるという話しである。
99年六月ヴォルガを下った頃、シンビールスクに着いた。右岸の丘の上に立つ、美しい眺めの町だったが、主人公があの町で物語の決着をつける脇役者の一人ズーリン大尉に出逢う書き出しも、背景を知っているだけ面白く読まれた。一家族の記録という形をとって、歴史的事件は全て物語る主人公の人柄を通じて見られているから、事件の中に我が身を置いて詠む思いがする。
大尉は優しい人柄で、家庭のよい主人だ。syでに老人なのに、謀反人の前には毅然とした態度をとって、しの義務に倒れる。父の重武の人柄を連想して、思わず微笑した。
「まんまるなばら色の顔をして、うす亜麻色の髪を、燃え立つような耳のうしろに、平らになでつけてある」 というのがマリヤ・イヴァノーヴナの姿である。彼女は考え深い、情のこまやかな乙女で、作者の愛情を余すところなく浴びている。老僕がまたよい。忠実で、剛直で、ほんとの主人思いだ。エカテリーナ女帝にしても、謀反人プガチョーフにしても、生き生きと描かれている。文章も簡潔にカッキリと写し出す。時々華々しい調べが貫いて、そのまま漢文にでも訳せそうな文体であることも気に入った。

女教師は、広瀬が満足したのを喜んで、面白いものでしょう。私も好きです。マリヤはお気に召しましたか。と真顔で言った。からかう気持ちではないのだろう。気に入りました。と率直に答えて、こういうのがロシヤ文学なのですか。と尋ねると、全部が全部そうではありませんが、有力な一つの流れです。この次には 「タラース・ブーリバ」 を読みましょう。 「大尉の娘」 の系列ですから。と教えてくれた。

ゴーゴリのこの物語はずい分長い。ウクライナの方言も出るし、コサックの風俗も描かれてるし、ポーランドやトルコ関係の歴史も心得なくてはならないし、おかげでずい分勉強した。
話の筋は、十六世紀の末、ギリシャ正教を奉ずるロシヤのコサックが、カトリック教を信ずるポーランド人と戦う話である。
コサックの酋長タラースには、オスタップとアンドレイよいう二人の息子がいる。ヒーエフの学校を出て故郷に帰ってきた。
父は軍事教育を授けるために陣営に連れて行く。でもアンドレイの胸の中には、忘れ難い印象を残したポーランドの娘の面影が残っている。
陣屋で頭目を選挙するところとか、酔っぱらってメチャメチャな生活をするところとか、画のように描かれている。
トルコとの平和条約が結ばれたので、回教徒には手が出せないが、正教の敵であるポーランド人 (リアキー) とは戦える。コサックは、ポーランド人に占領されたドゥブノの町を襲う。その包囲戦のある夜、アンドレイは、かってキーエフで心を奪われたあの娘の父が今はこの町の知事になっているのを知る。
ドゥブノは饑渇の地獄となった。アンドレイは、ついに決心して、城内に忍び込み、ポーランドの側にたって戦う。親子は今や敵になった。城はとうとう落ちた。
アンドレイは、父の手に掛かって殺される。
ポーランド軍は、援軍を得て盛り返し、オスタップは捕らえられてワルシャワに連れて行かれる。タラースは重傷を負って、陣屋に戻らねばならない。癒えると、すぐに彼はオスタップを捜しに出かける。ワルシャワのユダヤ町に潜入し、ちょうどオスタップが処刑される直前に刑場にたどり着く。苦痛をこらえてオスタップが 「父よ、どこにいる!聞えるか!」 と断末魔の叫びをあげると、 「聞いているとも!」 と群衆の中から怒鳴って、タラースは姿をくらます。これから生き長らえた余生を、父は息子の復讐の為に捧げて、ついに捕らえられ、焼き殺される・・・・・・

この長い物語を読みながら広瀬の目の前には、98年五月に見た観兵式の一場面がありありと浮んでいた。
ロシヤ皇帝の王座の前に何万人かの騎兵が、刀をふるって、槍を構え喚声を上げながら、集団となって突撃し、玉座の正面でピタリとふみとまったその壮観は今も消えていない。ロシヤがヨーロッパ各国から一つの原因は、コサック兵にある。その戦力の一端をじかに見せられたような恐ろしさを感じて、広瀬はコサックなるものの実態を知りたいと望んでいた。その願いが、今初めてこの物語によって満たされたように思う。

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