もともとコサックという名は 「軽武装の人 というトルコ語だそうである。ロシヤ語としては外来語だ。
十五世紀のロシヤ年代史に初めて現れるが、もとはモスクワ公国の大ロシヤ人が、税金なり徴兵なりを逃れるために、ロシヤでもない、タタールでもない、ポーランドでもない、──つまり所属の明らかでない南西地域に逃れていった。そこがウクライナ、すなわち
「国境」 だ。
限りも知らぬ広大な黒土の沃野。──草は熟れ、麦は豊かに、馬は肥える。彼等は軍事組織を作って、タタール人やロシヤ人やポーランド人を掠めた。
彼等はそれぞれの部隊に属して、アタマンという隊長を選ぶ。 ( 「アタマン」 とは、ドイツ語 「ハウプトマン」 のくずれだと辞書は教える)
。
ロシヤ正教を奉じて、いわばその前衛になっている。モスクワ政府は、彼等に絶対的従属を命じ得ないが、それでも時々は彼等の組織を利用して、曠野に植民地を開かせ、タタール人やトルコ人やポーランド人を偵察させた。
彼等はモスクワの保護下に入って、所々に要塞を築き、ドン河の流域に定住して、タタール人を追い払いながら、ドニエプル河からヴォルガの下流地域まで進んで行った。剽悍で向こう見ずで、手当たり次第に掠奪するから、近隣各地の恐怖の的だった。
そういう歴史的事実を調べてから、この物語に戻ってみると、事件が十六世紀の中頃、広瀬もかって見たドニエプル河畔の世界になっているのが思い出をそそった。まるで見てきたように生き生きと書かれているので、女教師にたずねると、ゴーゴリの特徴を詳しく説明してくれた。
この作者は愛国者で、熱心な正教徒だったでしょう。信仰の問題がゴーゴリの場合には大事なのです。あのコサックの連中は、はじめポーランド人といっしょになっていましたが、自分達の信仰を守ることを許されなくなったと思い込んで、ポーランドに謀反をしました。
ゴーゴリは十七世紀のはじめのオストラニッツァというコサックの頭目の生涯を叙事詩に書くつもりだったといいます。伝え話によると、このコサックは、裏切られて、ワルシャワに護送され、絞首台にかけられたそうですね。その悲壮な生涯を、空想の発達した南ロシヤの人ですもの、ゴーゴリはまざまざと自分が生きたように描いたのですと、この作品の生まれる経路を説明した。
我々が今日読んでみると、筋立てはずいぶんメロドラマチックだ。話の面白さは、やっぱり作者が文献や口碑によって再現し、ところどころ空想で彩ったコサックの生活の描写にあるように思う。その点になると、筆はたしかに入神の技を見せている。1900年はじめの広瀬も、そこにありありと描き出されているコサックの特性を見て、かねての願いのはたされたことを喜んだに違いない。
これはロシヤ民族の魂からうたいあげられた叙事詩だ。激しい力に満ちあふれたスラヴの魂の一面がまざまざと目に見える。
タラースのいかにも武人らしい精悍さとか、剛毅なあり方とか、不屈の面魂はいうまでもなく、祖国の信仰と自由を守るために見を挺して戦い抜くのを最高の道徳としているその人柄が、気に入った。
兄のオスタップは、父と同じ様に武骨一辺の男である。弟のアンドレイは勇敢だが、同時に多感な青年であった。この三人の中に、広瀬は、わが父と自分達兄弟の面影をそれぞれ見出して、ひそかに喜んだ。
海軍省の南側の美しいアレクサンドル公園が眼に浮ぶ。噴水が空に噴き上げている。ジュコーフスキー、レールモントフと、順々にならんで、通路の一角にゴーゴリの胸像があった。一つでもその物語を読んだ後では、もう他人のような気がしなくなった。
「タラース・ブーリバ」 がお気に召したら、ロシヤ人が一番喜ぶロマンスを一つ読みましょう。 「セレブリニヤ公爵」 という本です。作者は、アレクセイ・コンスタンチーノヴィッチ・トルストイという人です。レフ・トルストイとは関係が有りません。いつそ、この人の全集をお求めになってはどうですか。他のものも読むに値しますから。
と女教師が勧めるので四冊本の全集を買った。なるほど読んでみると、ほんとに面白い。十六世紀の後半のロシヤ社会の思想と信仰と、風俗と、社会が生き生きと描き出されている。イワン雷帝の御代の歴史を背景に、雷帝の独裁政治の行き過ぎを批判している。
「歴史小説」 とはいっても、歴史よりは小説である。作者は唯の史実よりもっと伝説に惹かれる。空想を重んじる。理性にわからなくても、心情にはよくわかる神の真理を信じている。
そこには実在の人物がたくさんならべられている。ロシヤの生活の中にある善悪両面が、過去という暗い、深い地面の中に、その根を張っているのが描き出されている。それでいて、それを貫いて流れる高い、清いモラルは濃く激しくにじみ出ている。主人公のニキータ・ロマーノヴィチは、外征から帰ってきた騎士である。豪勇果敢だが、正直無類な一種のモラリストである。彼はその生涯の間、その義務をはっきり自覚していた。それはどんな悲しみ、嘆き、災いの中にあっても、立派な男の心に住むもの──世の中のどんあ幸福を捨てても、それさえ果たせば生き甲斐があるというあの高らかな気持ちである。
彼はそれを目標にして生きてきた。それは利害も打算も無視する生活である。その無我の精神を目標にして生き、それを頼りにして、彼は戦う。意中の人エレーナとは、相思の願いを果たせなかったが、ほんとの幸福はエゴイズムからは生まれない。相手も生かし、われ自身も生かすためには、全体の立場を考えねばならなぬ。
その全体のためにはおのれの小さな幸福は捨てねばならぬときもある。こういう願いと目的とをもって、彼は生涯を貫いた。彼の一生は独特の色合いをおびて、我々の前に現れる。その足跡の一つ一つは、それだけを取り上げてみると、はっきりした意味を持たぬかも知れぬが、全体の中に置かれると、断ち切れない鎖によって結ばれているのがわかる・・・・・。
この理論は、広瀬を喜ばせた。かねて 「誠」 とよんでいたわが考えと全く似ているこの理論にそうて、自分の生きてきたあり方を改めて見せ付けられ、拡大して示されたと思ったからである。
文学批評を専門とするのではないし、文学そのものの為に文学を読むなどという願いも教養も持っていなかったから、彼は作中人物の行動や、思想を理解し、解釈し、あるいはそれに共鳴し、あるいはそれに反感を持って素直に読んでいたのである。
ロシヤ人の中に、こういう人がいた。いなかったにしても、作者はこういう人を考えて、こういう人を紙の上に作り出した。その人物を、多くのロシヤ人は愛している。そうすると、彼等の憧れと、自分の願いとはぴったり合する。倫理とか、道徳とか、精神とか言うものは、国情は違っても、案外共通するところがあるのかもしれぬ。そう思うと、じめじめした北国の空の下に、急にカラリとした青空を仰いだような気持ちになった・・・・。
ロシヤ正教の寺院の勤行を見に行くと、香が匂う。大ローソクが照らし出す。美しい聖像が描かれている。その中に見事な音楽が響く。十字を切ったり、ひざまづいたり、熱心に祈っている多数のロシヤ人の男女の姿が目に映る。正教は確かに華麗で、外面的な芸術的な所作は立派だ。
ロシヤ人は寺院に来てお祈りして、それだけで、神秘的な快感を覚えるらしい。ロシヤ僧侶とは、ついになじみになれなかった。身嗜みがなく、汚れた白衣を着て、毛むじゃらで、気味が悪い。聞けば酒も呑むし、風儀もよくないという。
ロシヤ正教の寺院を日本人の来遊者にたびたび案内して、その芸術的美感を説いたが、その教義はとうとう調べてもみなかった。ただ深く心を打ったのは寺院で行う結婚式の厳かな印象である。
1900年一月、ある知り合いの令嬢が医学博士と結婚するとき、招待された。日本にいた頃は一度も結婚式に招かれたことがないので、生まれて始めて見る婚礼である。いつもとちがって白い美しい衣裳を着けた花嫁が神々しいほどで、おごそかな宗教音楽が何とも言えぬ神聖な印象を深めた。やっぱりありがたいものだということはさすがに感じられた。
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