『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十七章・ 「タラース・ブーリバ」 その他の文学==

ロシヤを研究するのに、海軍軍備はその直接目標であるが、あわせて国情一般も知りたい。その文化の中心はロシヤの場合、文学と宗教という事になる。
広瀬はロシヤ文学をどんな風に読み、宗教をどんな風に見たろうか。
広瀬の蔵書の中には、七冊本のプーシュキン (1887年度版) 、二冊本のレールモントフ (1889) 五冊本のゴーゴリー (1898) 、十二冊本のツルゲーネフ (1898─99) 九冊本のトルストイ (1897) など、十九世紀ロシヤ文豪の全集がならんでいる・これらは99年秋からのロシヤ語教本で、これらを材料にして、自由に話をしているうちに、ロシヤの歴史も、ロシヤの風俗も、ロシヤ民族の魂も、おのずと学ぼうとしているのである。文学書が残っているからといって、ロシヤ文学を、今日文学専門家が学ぶように、彼もまた学んだと早呑み込みされては困る。

この蔵書のリストを見ると、ドストエーフスキーも、チェーホフも、ゴーリキーも欠けている。
99年の秋、ペテルブルグのある劇場で脚色された 「罪と罰」 を見た時、同行した川上俊彦が、 「面白くもない、批評する価値もないじゃないか」 とこき下ろした。演技がつまらなかったのかとも思われるが、おそらくそれだけではあるまい。原作の中の観念そのものがどうも同感させなかったのだろう。広瀬も共鳴した。彼にはドストエーフスキーを好んだという様子がない。まだ十分声価の決まらなかったチェーホフやゴーリキーに対しても、同じ見方だったろうか。
川上がここに顔を出したが、このロシヤ通は明治最初期に共通な教養を身につけていた。儒学にも、漢詩文にも、素養があって、歴史書を愛読していたが、一方文学書もかなり手広く読みこなしていた。
広瀬もだいたい同じ教養の型に入るのではないか。げんにイマーネッツの 「歴史小説集」 が残っているように、歴史物を愛読した跡がある。
ウォルター・スコットから発した歴史小説というロマンスの流れは、1850年年代まで一世を風靡するが、日本でもその波動をしたたか浴びた一群のエリートがいた。坪内逍遥以下の明治作家、高田早苗以下の明治知識人、八代六郎以下の明治海将がその代表となるのであるが、広瀬もまたそうした系列の末端に位する。そこでプーシュキンの 「大尉の娘」 や、ゴーゴリの 「タラース・ブーリバ」 が、特に広瀬の気に入った作品であったろうと思われる。

広瀬ははじめてペテルブルグの宿に着いた時、プーシュキンスカヤ街という町の名のいわれを八代少佐から聞いた。この町の真ん中にオペクシーヌの作ったこの詩人の銅像が立っている。ちじれた髪、ゆたかな口唇、大きく見開かれた多感な瞳──黒人の血を受けていたと伝えられるが、とに角一風変わった顔立ちだ。日本にいた時から、その詩のいくつかは読んでいたから、これがあのプーシュキンかと、彼は感無量だった。

ロシヤ語が少しづつ読めるようになってから、スペランスカヤ嬢はロシヤ文学といわれる国文学をはじめて作ったえらい作家として、プーシュキンの名をしばしば上げた。
あの人の作品は是非ご覧なさい、ロシヤの文語の始を作ったのは、その前のロモノーソフです。学者的な教会スラヴ語を生きている近代的な口語とうまくない混ぜたのがロモノーソフですよ。でもロモノーソフは、言葉をただコミュニケーションの手段として使いました。つまり感情表現は問題にしないで、理性の産物として言葉をみたのですね、と教えて、プーシュキンは、その道を更に進んでもっと流動的な、感動を十分に表せる今日の立派なロシヤ語をつくった開祖です。あの人は単純です。透明です。役にたたない言葉は使いません。それでいて調子が高いのはほんとに偉いと褒めたてた。
少年の頃ツァールスコエ・セーロ大学で学んだ後、ペテルベルグで若き日と晩年を送ったと聞くのも、懐かしかったが、広瀬の好きなピョートル大帝を歌った詩にはとくに心を惹かれた。海軍省の広場に立っているあの銅像の大帝を 「青銅の騎士」 と呼ぶのも、実感があった。

1824年ネヴァ河が氾濫してロシヤの首府はひどい目にあった。物語の主人公はエウゲニーという書記で、パラシャという娘を愛している。
ある夜急にものすごい音、人の叫び声、疾風の怒号が町から起り、 「ネヴァ河があふれた!」 「大水だぞ!」 という声が聞える。恋人の一家は大水に呑み込まれた。行方不明になった。
悲しみにさいなまれたエウゲニーは、頭が狂ってしまう。家もない、物も食べない、目もすわったまま、町をウロウロする元老院広場を通りかけた時、ピョートル大帝の大きな青銅の銅像が眼に飛び込んだ。エウゲニーの狂った心には、わが不幸の原因がすねてこの青銅の大帝から出てきたようにばかり思われる。思わず銅像をのろうと、銅像は急にムクムク生きてきた。銅像は腕を広げてエウゲニーを脅かす。びっくりして逃げ出すと、青銅の騎士が町じゅうどこまでもどこまでも追いかけてくる。カツカツという蹄の音が、彼の耳に響きわたる。追いつめられた彼は、ネヴァ河に飛び込む。・・・・・その後小さな島の上に彼の死骸が発見された。そばに恋人の家の残骸が残っていたというところで、五百行をこえる筆をおさめている。
この話の筋はともかくとして、また、裏にどのような寓意がかくれ、作者の政治的立場がなんであるにせよ、広場には、ネヴァ河のほとりに立って、スウェーデン人の振興を阻む堡塁を、ヨーロッパに向かって開くべき窓を、あらゆる国の百千の船がひしめきあう港を、夢見ているピョートルの姿と心とが現れて来て、大帝の作ったこの都の石畳の上を、自分も日夜歩むと思うと、ただ言葉だけをたよりに読むのとは違って、わが体験全体が背景となって受け取るから、無理なく同感できる気持ちになれた。

NEXT