広瀬のロシヤ人理解の性質も変わってきた。97年秋から、八代少佐のアパートに暮らして何もかも世話になっていたころは、まったく日本人の目で一切を見渡して、ロシヤ人の階級も、心理の特色も、理解してはいなかった。
八代のアパートでは留守居の老媼と下婢二人を使っていた。朝はお茶だけ飲むのがロシヤの常であるが、広瀬は八代の部屋でパンを詰め込む。留守居の老媼が気を利かして、二日にいっぺんは必ず米のめしをそえてくれる。その処置に満足すると共に、老媼の心遣いに感謝した。
97年上旬、二人の下婢は共謀して同盟解雇を申し出た。老媼は非常に困った。八代は早速新聞の広告を見て、五、六名の候補者を集める。11月26日にはもう新顔の炊事婦と小間使いがやってきた。こんな俗事はロシヤへ来るまでは僕も知らなかったよと、八代がこぼすこと、こぼすこと。
それにしても老媼は珍しいくらい愚鈍で正直だ。留学の直前、広瀬が秋山と一緒に麻布霞町の上村邸で使っていた老媼と、おつつかつつだろうと広瀬も信じぬいていた。八代もすっかり信用していた。
ところが、だんだん日数が経ってみると、ちがう。実に陰気な面を見せはじめた。
八代は我慢して使っていたが、とうとう8年3月、クビにした。広瀬から見ると、気前のよい八代のことだから、やりすぎるほどの手当てを与えた。
それなのに、老媼のやつは何ともいいようのない、けしからぬ態度に出た。もっとも頭が少しおかしかったのかも知れぬ。
グルになっていた悪婆に教唆されたのかも知れぬ。皿とか、ナイフとか、匙とか、みんな一揃いになっているものを二つづつ抜き取った。
台所道具などなにもかも持ち去ろうとした。ベットは月給の代わりだと言って、これも持ち去ろうとした。それも言語道断な態度に出て、一言の言い訳もしない。強奪同様のやり方である。
コーヒー入れなど、荷物にしまいこんでしまったものを、八代が見つけて、これは貴様のものじゃないぞと、詰問すると、そうです、私のものじゃあありません。けれど、一度も使ったことが有りませんから、いらないと思ってもらって行くのです。
というふてくされた態度である。箸にも棒にもかけようがない。そのころ短気一徹の広瀬はたまりかねて、カツとした。みるみる顔色が変わって、ここが日本で、相手が男なら、その場で蹴り倒すくらいのことはやりかねまじい顔色になった。
八代がまあまあとおさえるので、その場だけは我慢したが、老媼が立ち去った後も、一週間ぐらいは毎日々々腹が立って、思い出すと我慢できなかった。
日本にいれば、仮に腹が立っても、その場限りで、後はすぐからりと晴れる。それがいつもどんより曇っている不快なロシヤの天候のため人柄も変わったせいか、ずい分長いこと、むしゃくしゃしていた。
この老媼は、林公使の書生飯田が世話した。画筆を取らせると天狗なので、広瀬は密かに飯田画伯という尊称を奉っていたが、事件後、ばったり途中で出会った。飯田の顔に老媼の顔がうかんでみえた。思わずむらむらとした。彼は突然飯田にくってかかった。あんまり本気に腹を立てているので、飯田の方ではただきょとんとして、何のことかわからない。
老媼はに立ち去られると、台所仕事が困る。これは困ったと顔を見合わせていると、居残りの小間使いと炊事婦が働いて、それで十分間に合った。少しも困らない。一時は老媼の代わりに、然るべき者を雇おうかと手配までしていたが、それには及ばなかった。
八代のためには老媼の食糧と給料だけが楽になった。
実は、老媼は¥が立ち去る時、残りの女中達で食事を賄うことが出来ないかと聞いてみたら、とても出来ません、私がみんな調理し塩梅しておりましたのですものと答えたが、それはまったく嘘だった。老媼さんが手を下した事などありませんよ。今までだって私たちが作っていたのですものと女中どもが答える始末である。
老媼めの面憎い様子がどこまでもついてまわって、腹が立つ。
友達の悪婆は一週間もぶっ続けに泊まっていたそうである。泊まっていながら主人の八代には一言もことわらないというのだから、あきれ果てた奴だ・・・・
この話を聞いても飯田はちっとも動じない。ロシヤ人なんて、みんなそんなもんですと澄ましている。これにはイキリ立った広瀬の方が、拍子抜けしてしまった。
98年秋、八代のアパートを去って、大蔵省官吏某の家に入った。ロシヤ人はイギリス人などと違って、適当な暖かい家風などはないと聞かされていたが、とにかくその家の一人となって、一緒に暮らしたら、ロシヤ人の風俗も、習慣も、気質もだんだん真相がわかってきた。
その家の主人は、芝居好きで、11月の中頃には、座頭となって舞台にのぼるというさわぎ。四、五回ほど宿でおさらいをした。芝居には異常に熱心で、まるで熱に浮かされたようにやる。
教育もあり、普段はごく明るい好人物だが、しばらくたつと、下僕をひどくこき使うのがわかった。
みかねて、弁護するとせせ笑う。人情をまるで解しない。その冷たさが不思議に老媼と似ていた。正直な広瀬はひどく腹を立てて、半年ぐらいでその家を飛び出した。
今までいくらか知った下層も中層も、ロシヤ人は大てい無作法である。不愉快なほどつつしみが足りない。どんなに重大な事でも、つまらぬ事と同じ様に、しゃべってしまう。噂好きで、例外なしに二枚舌を使う。ウソをつくのが実に上手い。
でもロシヤにしばらく住んでわかったが、そのウソには悪気がない。ウソは彼等を守る武器である。農奴制度のもとで、悪い主人に対してウソをつく。ウソでもつかなかったら、とても生きられない。ひどく広い国なので、遠い所にいる官吏や軍人はウソをついても容易にばれない。それに教育が行き渡らないから、ウソを恥としない。しょせんロシヤ人から親切にされたといって、彼等が道徳的に信頼できると思うのは間違いである。そういう事実に、広瀬ははじめて気がついた。
そこでロシヤ側の公式の発表だけを判断の資料にすると、とんだ間違いをおかす。国内を広く旅行して、いろいろな材料を詳しく見た後に、はじめてロシヤについて正確な判断を下せるのである。
人が与えてくれた情報をそっくりそのまま正しいとすると、とんだことになる。
ロシヤ人は好んで 「奴はウソを言う」 という言い方をするが、事実外国人にだけでなく、ロシヤ人同志でもウソをつきあっている。親しくなると打ち明け話を聞かされるが、あれはやっぱり普段がウソの多い生活だけに、急に真実を語りたい本能が、恐怖感情を突き破って、溢れ出してくるのだろうか。
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