コヴァレフスキー邸を辞して、二人は馬車に乗った。ガラガラ走る動揺につれて、心はおのずとリズミカルになり、現在は過去を呼び出した。
思い出が目の前に浮ぶ。八年前の十二月末のことだった。
南十字星をあおぐオーストラリヤのシドニー港に練習艦 「比叡」 が停泊していた。彼はヘソの緒切って初めて西洋人を訪ねて、以外にも大変歓待された。そのときの思い出が今浮き上がった来たのである。あのころは、外国人嫌いで有名だった。外国人と付き合ったことなどは一度もなかった。その二十四才の
「攘夷家」 少尉が、まるで知らない毛唐から手紙をもらった。士官次室は沸き立つような騒ぎだった。
開けて見ろ、開けて見ろ という歓声の中に、彼も不思議な気持ちでとまどいしながら、封を押し切って読んでみた。
「我親愛ナル君ヨ、余ハ当地新聞紙上ニ於テ、日本軍艦 「比叡」 ノ士官姓氏録ニ、余ガ新西蘭 (ニュージーランド) ウエリントン市街ノ自宅ニ来訪セラレシ貴国軍艦
「竜驤 (リュウジョウ) 」 「筑波」 乗組士官ノ姓名ナキカト、目ヲ注ぎたるに、余ガ知人トシテハ唯一ツノ 『広瀬』 ナル姓ヲ認メヌ。君ハ果シテ余ノ指ストコロノ旧識ナリヤ。謹ンデ確報ヲ待ツ。 J.T.Shaw」
彼ははったと手を打った。あの頃、ニュージーランドに回航した 「竜驤」 と 「筑波」 の士官の中でヒロセを名乗るものは、兄の勝比呂以外にはいない。この文にいうヒロセとは、兄のことを指しているにちがいない。なんという懐かしさか!。
手紙を持ってきた外人は、R・ブラウンと名のった。聞けば、ショーのお隣の人で、 「比叡」 乗組の二人の候補生と知り合って、連れられてこの軍艦を見物方々うかがったといった。広瀬は、手元に持っていた日本の
「うちわ」 を贈って、感謝の微意をあらわした。そのときのブラウンの喜びようは大変なものだった。彼は手紙を書いてブラウンに託した。
「親愛ナル君ヨ。余ハ君ガ懇切ナル書信ニ接ッシ、深ク満足ヲ表スルモノナリ。然レドモ、余ハ君ガ指ストコロノ旧識ナラズ。君ガ所謂 「ヒロセ」
ナルモノノ実弟ナリ。来ル廿日日旺午前十時ヲ以ッテ訪問、君ト快ク面晤センコトヲ楽ムモノナリ。」
という堅苦しい彼の英語の字体まで、今も目の前に浮んでくる。
いよいよその当日、上陸して指定の駅に降りた時。待っていたらしい、かっぷくのいい西洋人が、 「ヒロセさんではありませんか?」 と聞く。
「しかり。あなたはミスター・ショーか?」 と互いに手を握って、たちまち話に花が咲く。ふだんは、ニュージーランドにいるが、二週間前にシドニーに来たのですという挨拶であった。兄の噂に話が移る。カツヒコはもう大尉で、海軍大臣の秘書官ですと伝えた。あの時は誇りで胸がいっぱいだった。
そこへにこにこ顔のブラウンが馬車を持って来て、広瀬とショーを自宅に連れて行った。ブラウンは、イギリスの建築技師だそうだが、とてもさっぱりsた男で、大変酒好きだった。この間の
「うちわ」 を大切にして壁にかけてある。イングランドに帰ったら、愛妻に見せるつもりです、と大喜びで、珍蔵品をなんども見せた。よかったらどれでもおとり下さいとすすめる。壁にかかった立派な額を指して、
「尉官ヨ、謹ンデ贈物トナサン。乞フ決シテ辞スナカレ。」 としきりにすすめる。
広瀬はあまりにことにただあきれるばかりで、決してそんな心配はしてくれるなと頼んだ。
それじゃらドライヴの後に、駅前のホテルに乗りつけて、ホテルの中の旅客に、いちいち彼を紹介してくれる。たいへんなご馳走だった。ショーよりブラウンの方が酔っぱらって、食堂で一人の英人が口を出した時など、大変怒って、
「コレハ日本帝国ノ貴紳ナリ。汝等奴輩ノ口ヲ交フベキモノナラズ」 とどなった。言葉も挙動もただ熱心で、ほんとに彼を敬愛している様子がはっきりみえた。
あの日のことを思い出すと、愉快といえば実に愉快だし、困ったといえばあれほど困った事はなかった。とくにブラウンの好意は、類がない。この人の気性はどちらから見ても西洋人ではなかった。東洋の
「奇人」 というのが、あれだろう。
額のことはありがたいけれど、あれほどお断りすると言っておいたし、ショー氏にもその旨を頼んでいたから、十中十までもってくることはあるまいとタカをくくっていたのに、そのあくる日、ブラウンの使者が軍艦に例の額を持ち込んできた。時価にすると二・三十万のシロモノらしい。なんとも礼の言いようもない。お返しするのも思いつかぬ。生まれつき頑固で
「攘夷家」 のあだ名をもっていた広瀬が、相手もあろうに見知らぬ西洋人から、こんな見事な贈り物をもらったという噂がたちまち流れ、艦内は大評判だった。
これは面白い。広瀬も開花したものだ。ヤツはもう立派な交際家の仲間に入ったぞ。と次室の連中ははやしたてる。額はすぐ森大佐に預けて、艦長室の装飾品の一つとしたが・・・・・・・。
思い出すと実に不思議である。天下いたるところに知己がいないとはいえぬ。はからずも南半球、オーストライヤの港で、全く未知のイギリス人に親友のごとく優遇されたのも奇縁だったが、八年の後の今日また北十字星下のこの都で、ロシヤ将官一家の暖かいもてなしを受けようとは・・・・縁とはどんな色の糸で結ばれているのだろう。
そうだ、思い出す。あの日、自分が連れ出してショーとも会い、ブラウンの邸を一緒に訪れもしたのは、今もここに同じ馬車に揺られている加藤大尉である。あの頃はまだあどけない顔をした候補生だったが、はじめから妙に気が合って、誘うとすぐついて来た。その加藤がいまはもう二十九才の、みるからに立派な海軍将校になっている。意想外の
「友」 が現れる時、加藤はいつも俺のそばにいる。それも不思議だ。
また思い出す。ブラウンには確かにお返しをした。東京に学んでいた自分に父が持って来てくだすった筑前鍛冶の日本刀がある。無銘ではあるが、千金にもかえがたい品物だ。ほかになにもあげるものを持っていなかったから、思い切ってあの日本刀をブラウンに贈った。こんどは、コヴァレフスキー閣下にどんな贈り物をおくったらよいだろう・・・・・。
ロシヤに来てはじめて招かれた 「貴族の家」 の好もしい雰囲気が、いつまでも彼の心の中にたゆたっていた。まだペテルブルグの町が珍しいとみえ、しきりに外を覗いている加藤の方を、ちらちら見ながら、広瀬は友の見るものとは全く別のことを夢見ていた。
これから二人は、時々連れ立ってコヴァレフスキー邸に出かけた。
訪れるごとに広瀬の会話も少しずつ進んできた。人間の心に別に国境はない。とくに夫人はだんだん広瀬の人柄を理解してきた。
主人が広瀬を見る眼の暖かさも何となくわかってきた。それは、異邦人にしろ安心して付き合える人ということが、いつともなくのみ込めたからである。
夫人は広瀬に近ずいてきた。着任早々の加藤はなにかと多忙なので、いつか広瀬は一人で少将邸をときどき訪れるようになった。
|