『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第十二章・コヴァレフスキー少将と相識る ==

1899年をおくる鐘の音を聞きながら、広瀬はすぐる一年をふりかえってみた。今年はなにやかや忘れ難い事が多かった。
なかにもはっきり浮んでくるのは、ロシヤ貴族の一家と付き合いが急に深くなったことである。広瀬はそのいきさつを今ありありと目の前に思い浮かべた。
あれは今年の晩夏、ロシヤの海軍大臣主催の遊園会のときだった。イギリス埠頭から迎えの小蒸気に乗って、大ネヴァを下っていった。フィンランド湾口の南岸近くへ出ると、僧院や古城が美しく遠望されて、ストリエルナの町を越えると、もうキラキラしたドームのかがやく大きなお城が現れた。ペテルゴーフだ。一時間とはかからぬ船旅だった。
下公園に入ると、ピョートル大帝の小さな館があった。そばの池には噴水が吹き上げ、林の中には滝がおちている。ヴェツサイユそっくりというお城は、赤と白に塗られた三階建が、屋ねと美しく調和している。テラスは、湾に望む。丘を背にして海を見下ろす眺めは素晴らしい。 いたる所に噴水が水をほとばしらせ、大理石や自然石のさまざまな人形は各所にそびえ、なたうずくまる。 運河にそうた道には、高い松並木が枝を連ねていた。広大な地域を持つ 「自然」 が、そのまま 「人工」 の庭園に導きいれられた美しい眺望である。ここが遊園会場だった。
レセプションは、場内の 「青の間」 で催された。P・P・チェルトフ中将を中心に、アヴェラン中将、シュワルツ大将、ヴェルコフスキー中将、ヂコフ中将、クリューゲル中将ら、ロシヤ海軍の首脳部がずらりと並んでいた。林公使も杉村書記官も野元中佐も出席していた。各国の外国武官もそれぞれ勲章をつけてやってきた。中には夫人同伴の士官もいて、応接のロシヤ貴婦人達とにぎやかに談笑している。婦人達の美しい衣裳が、武官達の青い礼服のあいだに、華やかな色彩をそえていた。

広瀬は、幾人かの知り合いと挨拶を交わし、一応礼儀的に祝杯をあげた。それ以上の酒は苦手なので、吹き上げの美しい池のほとりに出て、ほんの型だけの祝酒に熱した頬をさましながら、ゆきつもどりつしていた。加藤大尉も、田中陸軍大尉も招かれていて、酒好きな連中だけに、さかんにあちらこちらと遊弋している。
・・・・・ふと池の向こうを見ると、中背のロシヤ海軍の将官が、やはり一人でゆきつもどりつブラブラしている。もう五十は越えているだろう。眼鏡をかけている。口も頬もあごひげで埋まっているが、大変気品のある風采だった。こちらの視線と向こうの視線とがぱったり合った。人のよさそうな微笑を浮かべ、わざわざこちらまで出向いてきて、
「ウラジミール、コヴァレフスキー少将です。これから気安くお付き合いを願います」
と挨拶した。不思議に何か通ずるものがある人柄だった。広瀬は直立不動の姿勢をとって、
「日本海軍大尉広瀬武夫であります。どうぞよろしく」
と名乗りをあげた。
「きれいな婦人達がいるに、あちらへ行く気になれませんか。私も実は苦手でね」
と、少将は笑った。コヴァレフスキーは、やや灰色を帯びた青い上衣に、礼帽をかぶり、黒いネクタイを結んでいる。
金のエポレットには、大きな鷲の章が一つかがやいていた。将官のしるしである。日本のように襟章はつけていない。
「日本の駐在武官です。まだ充分に言葉も出来ませんので、いろいろ不便なことがあります」
「ロシヤにはいつおいでになりましたか?」
「二年前にまいりました」
「そのくらい言葉が出来ればいいですよ。私のところに遊びに来てください」
ちょうどその時、加藤寛治大尉が通りかかった。顔を赤く染めて、ひどく機嫌がいい。
「広瀬!どなただ。おれを紹介しろ」
加藤はロシヤについたばかりだけれど、英語が得意だから、持ち前の心臓にものを言わせて、巻き舌で話しかけた。酒気も手伝っていて、話はよく通じた。
コヴァレフスキー少将は、あの大尉はロシヤ人にあまりなじみを持たぬようだが、自分もイタリヤの駐在武官だったとき同じ体験をした。外国で知り合いのないのは寂しいものだ。私の家は気が楽だから、二人で遊びに来なさい。来週の金曜日の午後にどうですか?とさそってくれた。

これがきっかけになって、指定の日に広瀬は加藤大尉と一緒に訪問した。閑静な屋敷町に住んでいたコヴァレフスキー子爵は、海軍の水路部長の職にあった。かねて話をしておいたと見えて、子爵夫人が挨拶に出た。もう中年の品の良い落ち着いた夫人である。着物の着こなしもよく、応接の素振りも上手である。ものの言いかたも何となく気品がある。
長男のセルゲー少尉はいま艦隊の勤務で家に居ない。娘をお引き合わせしようと、令嬢達を呼び入れた。姉は、マリヤ、十八才。妹はアリアズナ、十六才。まだ子供のように邪気のない快活な明るい娘達である。
加藤は度胸がいいし、英語はよくしゃべるので、英語もわかる夫人は、この東洋の士官を珍しがって、話に花を咲かせた。娘達も東洋から来た士官を珍しげに眺めて、彼らの手土産の事から口がほどけ、日本の家庭や風俗の事が話題になった。女性らしく文学、音楽、演劇のことにとかく話は移りがちだが、一家をあげて、二人の日本将校を大変親切にもてなした。

広瀬はあまりものを言わぬ。ふしぎに少将は、はじめから広瀬が好きだった。人柄にどこか通ずるところを持っているからだろう。しきりに話しかける。率直な人柄で、隠し立てなく自分自身を表す。過去の経歴もあきらかにした。兵学校は1861年に出た。同期生は六十五人いた。アレクセー・ニコラーエヴィッチ・ウフトムスキー公爵がいっしょだった。私なぞはずっとビリの方なのでと、自分からさらけ出す。相手が自分のことをなんと思おうと、かまわずに話を進める。それは、まるで私はこんな人間だ。貴方はどんな人だかお話なさい。遠慮してどうなさる。生命みじかし、お会いしている間だけでもありのままに生きよう。一緒に付き合う積りなら、何でもお互いに話し合おうじゃありませんか。という気持ちが言外にあふれていた。案じていたほど、変屈ではない。軽はずみでもない。いわんや決して冷たくはない。ほんとに率直で正直で好人物というのがこれだろう。客を喜び迎える寛大な気質も流露していた。

広瀬がクリミヤ旅行をしたことを知っていた少将は、ダッタン人の有名な 「庭の都」 まで行ってみたかとたずねた。
広瀬はとぼしい語彙でたどたどと語った。

河にのぞんでんで岩根ごしに谷間にのぞんだまったく東洋風な町である。
家々は葡萄園、果樹園、ポポラの並木の間にまるで秩序なく散在している。
平たい家並みの間にあちらこちら、尖塔が陽に光る。町のほぼ中央バザルナに高らかな城壁を取り巡らして、汗 (カーン) の宮殿が建つ。
中庭が素晴らしく広い。百三十米もあるだろうか。回教寺 (モスク) 院の内はかなり暗い。ちょうど四時の祈りの時刻だった。
天上には星形の明り取りがあって、四方の壁にはコーランから抜萃されたアラビヤ文字がぎっしり並んでいる。部屋の数は大変なものだ。
「涙の泉」 という伝説に名高い噴泉は、ほんの少しづづ水を吹き上げている。後宮もあるが、浴室以外には別に珍しいところはない。広瀬はなんと言うことなくこの宮殿内をぶらぶらした。
全体の印象は、プーシュキュンの詩にうたわれたような伝説めいた雰囲気とは違う。そのくせ彼は時々夢の中にここの噴き上げの水の音をうつつに聞いた。不幸な伯爵夫人の面影も見た──そこはかとなくただよい浮ぶつかの間の幻のように 。

そういく意味のことが単語を並べただけの広瀬の表現から、相手にはすぐ伝わった。少将はうなずいた。
食べ物の話に移る。ダッタン料理を食べたかという質問が出た。 「チェブレーケ」 (一種のコロッケ) と 「シャシュリーク」 (羊のあぶら肉) を食べた。少し臭味があったと答える。
相手の好意がわかるから、思わず口がほどけたのだ。ときどき相手の話が聞き取れないためトンチンカンな返事をする。それがかえって、なごやかな愛嬌を彼の話し振りにそえて、人々を喜ばせた。

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