畿内の海浜一帯は、かって戦乱の地であったため、風は殺気を含んで吹き、草木までもがなまぐさい。 ここで討ち死にした楠公の忠節は、歴史家によって特筆大書され、その名は永く史上に伝わるであろう。 楠公の天子への満身の忠義の熱血の滴りは、それぞれの子供たちに分け与えられ、さらに後に賊臣足利尊氏に対し、戦場においてそそがれたのである