だい
夏目 漱石
1867 〜 1916

真蹤しんしょう 寂寞せきばく よう としてたずがた
虚懐きょかいいだ いて こんあゆ まんとほつ
碧水へきすい 碧山へきざん なんわれ らん
蓋天がいてん がい しん
たる しょく つき くさはな
錯落さくらく たる秋声しゅうせい かぜはやし
がん ふた つながらわすまた うしの
空中くうちゅう ひととの白雲はくうんぎん
眞蹤寂寞杳難尋

欲抱虚懐歩古今

碧水碧山何有我

蓋天蓋地是無心

依稀暮色月離草

錯落秋聲風在林

眼耳雙忘身亦失

空中獨唱白雲吟

(通 釈)
真実の道はひっそりとしてかすかで、手の届かない遠い彼方にある。せめて、私は、我欲利己心のない、てんたんとした心で人生を歩み、生涯を終えたいと考えている。
碧く澄んだ河の水、青々とした山の緑を見るがいい、どこに我執の色があろうか。
広い天地を見るがいい、すべてみな無心である。ほのかに夕闇のとざす草むらの向こうに、明るい月が上り、雑木林を吹く風が、わびしく入りまじる秋の音をひびかせる。
私は今、この風物を目にし、耳にしながら、感覚を失ったようにふと我を忘れ、ひとり空中に浮んで、白雲の歌を歌っているような気分を味わっている。

○真蹤==真実の道。絶対の真理。
○寂寞==静かなさま。さびしいさま。
○杳==遥かなさま。ぼんやりとして暗いさま。
○虚懐==私利私欲の無い心。漱石の到達した <則天去私> の心。
○碧水碧山==深く澄んだ水と樹木の青々と茂った山と。
○蓋天蓋地==天地ということ。天地をおおう全てのもの。
○依稀==ほのかなさま。 ○錯落==入りまじるさま。
○白雲吟==中国の古い伝説 『穆天子伝 (ボクテンシデン) 』 に西王母 (セイオウボ) という仙女が白雲謡三章を吟じことが記されている。ただし、ここは、これをさしたものではなく、作者自身の (広大な天地の中での没我の心境) を、この言葉で表記したものとみるべきだろう。


(解 説)
漱石晩年の、連作七言律詩最後の第六十四首で、大正五年十一月二十日の作。漢詩における絶筆となった作品。
漱石は、大正二年、持病の胃潰瘍が再発して病魔に耐えながら、同三年、小康を得て 『心』 を書き、、同五年には 『明暗』 の連載を始めたが、胃潰瘍が悪化し、その年の十二月九日、 『明暗」 未完のまま五十歳で没した。 本詩はその三週間前に作られたもの。
漱石が晩年に到達した人生観は <則天去私> であった。その詳しい解説は、哲学解説書に譲るとして、 (天の則って私を去る) というこの言葉は、西郷隆盛が好んだ (天意を知る) にも通じ、公平無私な天を手本にして利己心を捨てるべきだという考えを表している。
本詩の第一・二句は、この <則天去私> への志向を明らかにし、第三・四句ではそれが自然の理にかなうことであることを示し、第五・六ではみずからの清澄な心境を秋の自然を借りて述べ、第七・八句ではなんとも形容し難い、恍惚とした精神的な満足感を述べている。
それと同時に、本詩を作る時には、漱石も既に自分の生命のいくばくも無いのを予感していたのであろう。第七・八句では <死の予言> も感じさせる。ちなみに、漱石は、この詩を作った翌々日から、床につき、それ以後は、ずっと病床の人として、十二月九日、ついに不帰の人となったのである。
(鑑 賞)
詩の気韻といい、格調といい、きわめて高く、そして深く、文豪漱石の詩作の最後を飾るにふさわしい絶唱というべき作品。
漱石の詩は、熊本の第五高等学校教師時代と晩年に優れたものが多いと言われているが、特に、晩年の作品は、一般に心気清澄、禅味を帯びた作品が多い。やはり、 <則天去私> の人生観を自らの心の中に徐々に確立してきていたからであろう。
備考蘭に紹介する 「無題」 は、連作七言律詩の第六十三首、つまり、絶筆となった本詩の前作。作った日も大正五年十一月十九日、本詩の前日に作ったものだが、この 「無題」 を作る四日前に、雲水僧富沢珪堂あてに、次のような書翰を送っている。ほとんど、詩の冒頭の解説のようなものになっている。

「変な事をいひますが、私は五十になって始めて道に志す事に気のついた愚か者です。其道がいつ手に入るだろうと考へると、大変な距離があるやうに思はれて吃驚してゐます。
あなた方は、私には能く解からない禅の専門家ですが、矢張り道の修業に於て骨を折ってゐるのだから、五十迄愚図々々してゐた私より、どんなに幸福か知れません。又何んなに殊勝な心掛けか分りません。私は貴方方の奇特な心得を深く拝礼してゐます。
貴方方は私の宅へ来る若い連中よりも、遥かに尊い人達です。是も境遇から来るに相違ありませんが、私がもっと偉ければ、宅へ来る若い人ももっと偉くなる筈だと考へると、実に自分の至らない所が情けなくなります」

とある。また、この書翰の四日前には、托鉢僧鬼村元成あてに、次の書翰を出している。

「私は私相応に自分の分にある丈の方針と心掛けで道を修める積です。気がついてみると、全て至らぬ事ばかりです。行往坐臥ともに虚偽で充ち充ちてゐます。恥づかしい事です。此次御目にかかる時には、もう少し偉い人間になってゐたいと思ひます。あなたは二十二、私は五十、歳は二十七程違ひます。然し定力とか道力とかいふものは、坐ってゐる丈にあなたの方が沢山あります」

これらを熟読すると、大正五年十一月十九日並びに二十日の二作、つまり、備考欄に掲げる 「無題」 と本詩が、漱石の詩作の総決算の感を強くする。
(備 考)
  クリック⇒⇒⇒ 「無題