だい
夏目 漱石
1867 〜 1916

たい いたがたこころざし がた
じゅう春秋しゅんじゅう瞬息しゅんそくてい
みちかん じてげん ただ せい
ねん じて ひとせいもと
迢々ちょうちょう たり天外てんがい 去雲きょうんかげ
籟々らいらい たり風中ふうちゅう 落葉らくようこえ
たちま閑窓かんそう 虚白きょはくうえ
東山とうざん つき でて半江はんこう あきら かなり
大愚難到志難成

五十春秋瞬息程

観道無言只入静

拈詩有句独求清

迢迢天外去雲影

籟籟風中落葉声

忽見閑窓虚白上

東山月出半江明

(通 釈)
一切の飾りを捨て、心のままに行う大愚の境地を志向するものの、この境地に到り難く、また及び難いのは承知の事であったが、少年の時、立てた望みすら成就しないうちに、五十年の歳月はそれこそ瞬く間に過ぎ去った。
宇宙の動体を探らんとして寂静の心境を求め、この胸中を詠ぜんとするのだが、その心境も詩句も得られず、いたずらに日々は過ぎ去るばかり、胸中はまことに虚しい。
坐したまま空を仰げば、果てしなく遠く高い碧空に白雲が悠々と行き来する姿が望まれ、颯颯と渡って行く風の音に、ひそやかに落葉の声が聞える。
この中に自然の心理があるのだと感じ、ふと気がつけば昼の群動が止んで、いっそう閑寂となった窓のかなたの明るみの中に東山の姿が浮び、やがて月も出て、上がるにつれて川が向こう岸から段々に光を増してくる。
吾心も幾分の平和を得て、近頃になくほがらかである。悟りとまではいかないまでも──。