きぬた
本宮 三香
1877 〜 1954

碪声ちんせい 断続だんぞく して村巷そんこうひび
一杵いつしょ一杵いつしょさむ きよりもさむ
はく しも となりてん 粛殺しゅくさつ
木葉もくよう かぜひるがあき まさたけなわ なり
いえ ひとつき
丁東とうとう ひびきゅう にしてよる 漫漫まんまん
こうべめぐ らせば薄宦はつかんあま んじ
短褐たんかつ 敝裘へいきゅう 長安ちょうあんとど まる
きみ ずや えん老親ろうしん おも うことせつ なるを
とう 碪上ちんじょう なみだ いまかわ かず
碪聲斷續響村巷

一杵寒於一杵寒

白露爲霜天肅殺

木葉飜風秋正闌

誰家慈母獨擣月

丁東響急夜漫漫

回頭兒兮甘薄宦

短褐敝裘滞長安

君不見故園老親懐兒切

擣衣碪上涙未乾

(通 釈)
どこの家であろうか、砧を打つ音が夜更けの村に聞こえてくる。たたずんで耳を澄ませると、一杵一杵ごとに寒気も増し、それとともに、その音の持つ寂しさが見に染みてくる。
秋も、この時期になるといよいよ深まり、葉末に光っていた白露も、今は霜となり、それが天に満ち、地上の全てが粛然とした気におおわれ、人の心も衰え、草木は枯れ果てている。乾いた木の葉が風に舞い、秋もまさにたけなわである。
そうした中で、どの家の母であろうか、遠く都に仕える息子のために、寒さも厭わず、冬衣を整えるために、月明のもと、丁々と懸命に砧を打っている。砧の響きが急なれば、いよいよ夜の長さを思う。
いったい、どれほどの時間、あの固い石の上で、重い小槌を振るう事であろう。おそらく、その息子は薄給の身で、満足な綿の入った衣を買い求める事が出来ず、短い破れ着物をまとって、長安の都で過ごしているのであろう。
親なればこそ、その身を思いやるだに愛しく、老いの身に堪えてせっせと砧を打っているのであろう。子の苦労を思ってのことであろう。槌の音を響かせながらも、砧の上に、涙がポトポトと落ちてやまない。子を思う母の情はまことに深渕なものである。

○碪==砧とも書く。木を斫る台にも草や藁を打つ石にもいうが、ここでは、布や帛を柔らかくし、艶を出すために載せて叩く台。砧声はきぬたを打つひびき。
○断続==切れるとすぐ続く。間を置いて聞える。途切れ途切れの状態。
○村巷==村の隅々。   ○一杵==杵の一打ち。
○寒於一杵寒==一杵ごとに寒気がつのるようでもあり、一杵ごとに寂しさが増すの意。
○白露==しらつゆ <白露爲霜> は秋が深まり、追い追いに寒くなるを言う。
○肅殺==厳しい秋気が草木をそこない枯らすさま。
○闌==真っ盛りの時。または盛りを少し過ぎた時をいう。
ちなみに、闌暑は残暑、闌夕は深更。
○慈母==慈愛深い母。
○丁東==玉石などの触れ合う響き。チンチン・トントンなどと鳴る音。
○漫漫==夜の長いさま。
○薄宦==薄給の官吏。冷官。仕官してなかなか栄達出来ない役人。
○短褐==短く荒い布の着物。賤しい者の着るもの。
○敝裘==破れた皮ごろも。 短褐と対に用いられる。


(解 説)
中国では、昔、夫が外征中、その留守を守る妻は夫の衣を整えるため、砧を打った。その際、妻は淋しさに耐えながら、夫への思慕の情を込めて打つところから、その音は哀切をもった響きと受け取られ、このことから、砧の響きは古来、さびしいもの、悲しいものの象徴として、詩文の素材とされている。
日本でも、能楽などに 「砧」 というテーマで 「遠方へ長期赴任の夫を慕う妻がしばらくは砧を打って、みずからを慰めていたが、悲しみがいよいよ募ってやがて死んでいく」 という物語が作られている。
本詩はこの砧に関する風習を素材に、主人公を、夫を思う妻から子を思う母に変えて、親の子を思う愛情の深さを詠じたもの。
(鑑 賞)
これは、白居易の 「聞夜砧」 をその骨格とし、孟郊の 「遊子吟」 をその精神として、たくみに新しい詩境を詠じ出した、と言えよう。
秋の夜は寒々として、さびしく、そして、もの悲しい。本詩では、第一句から第四句までにわたって、秋たけなわの夜の荒涼とした光景が克明に描き出されている。
その描写が鋭いだけに、老母ひとり、都の出て苦労している息子を思って砧を打つという、後半四句の描写がよりいっそう強く浮き彫りにされ、子を思う親の情をうたいあげるのに成功している。