つく ざん ぜつ ちょうのぼ
安積 艮斎
1791 〜 1860

とつ こつ たる ほう うん がいうか

てん ぷう のぼぜつ てんあき

さん れき れき たりそう あいもと

ただ おそいつ はつ しゅうおどろ かさんことを
突兀奇峰雲外浮

天風吹上絶巓秋

山河歴歴雙鞋下

但恐一呼驚八州

(通 釈)
高く突き出た奇峰は、その頂上を雲の上に浮かべているようである。
頂上に立って見れば、天風が吹き上がって、絶頂の秋は、まことに美しい景色である。
目を転じて南のほうを見れば、関東の山河が、草鞋の下にありありと展開されている。思わず、壮大な気分になって、大声で呼ばわろうとしたが、関八州がびっくりするのではないかと心配になった。

○絶頂==頂上のこと。
○突兀== 「突」 は突出すること、 「兀」 は山の高いこと。挺でて高いことをいう。
○雲外浮==頂上が雲の上に浮かんでいるように見える。
○天風==天上の風。
○絶巓秋== 「絶巓」 は絶頂というに等しく、天風が絶頂にまで吹き上がる秋景色、という意。言外に山頂の秋の景色の絶景なることを示している。
○歴歴==一つ一つ明らかなこと。
○双鞋== 「鞋」 とは草鞋のこと。 「雙鞋」 は一足の草鞋の意。
○但==ひたすら。    ○八州==「関八州」 のこと。


(解 説)
筑波山は、茨城県にある標高876メートルの山。関東平野のほぼ北端に位置し、さして高いとはいえないが、周囲にほとんど山がないため、関東平野を一望に見渡せる。 また、下から眺めると、奇妙に高く見える。
作者がこの筑波山に登ったと思われるのは、天保十四年 (1843) 七月、二本松藩の儒者となって、一家をあげて二本松に移った際か、その一年半後、再び江戸に戻る途中か、その二回のうちの、どちらかであるといっていい。
格別に山らしい山にない所に、挺でて聳え、関東、その中心としての江戸を眼下にとらえる筑波山に登っての感動が、ユーモラスな筆致で素直に詠われている。
片田舎の一藩儒として身を終えることに満足できず、天下に志を得ようとする己の覇気を見ることもできよう。
(鑑 賞)
天保十四年 (1843) 七月、百五十石を給せられて藩儒となり、一家をあげて二本松に移ったことは既に述べたが、内心では、必ずしも満足していなかったようである。
一見、豁然として豪壮な気分と、筑波山の姿とを重ねたように思えるが、むしろ、江戸に恋々たるものがあって、往路を振り返って、次に、この山に登るときは江戸に上る時だ、という内心に決意が秘められているようである。
転・結の両句は、そのような観点から見ると興味深い。特に結句は、あるいは、むしろ蕭条たる気分であったのかも知れない。
都落ちにも似た旅の途次に、遥か江戸のほうを眺める艮斎先生、とても大声を出す余裕はなかったであろう。それを、 「但恐一呼八州を驚かさんことを」 と言わせるのは意地であろうか。しかし、次回この頂きに登る時には、必ずや、江戸の人々を驚倒させてみせるぞ、という覇気を感じさせる。
芳しからぬ境遇にあっても、これだけのユーモアが出るところなどは、意気すでに天下を呑んでいる、といわねばなるまい。 「孔子泰山に登って天下を小とする」 の気概を見る思いである。