せい へい 調ちょう (三)
李 白
701 〜 762

めい けい こく ふた つながらあい よろこ

とこしな えに たりくん おうわら いを びて るを

かい しゃくしゅん ぷう げんうらみ

ちん こう てい ほく らん かん
名花傾国兩相歡

長得君王帶笑看

解釋春風無限恨

沈香亭北倚欄干

(通 釈)
牡丹の花と絶世の美人が、玄宗皇帝の心を喜ばせる。
君王は笑いを含んで、ずっと眺めたもう。
春風のもたらす限りない恨みを解きほぐし、いま絶世の美人は沈香亭の北の手すりにもたれている。

○名花==牡丹の花。
○傾国==美人をさす。ここでは楊貴妃をさす。
○沈香亭==興慶宮にあったあずまやの名。


(解 説)
李白が玄宗皇帝の前で、牡丹の美しさと貴妃の美しさを詠んだもの。
三首連作の第三種めの作品。
(鑑 賞)
この詩は三首とも 『唐詩選』 にとられている。どれをとっても、牡丹と美人とを不即不離に詠っている。いかにも大唐の春を謳歌した華やかな作品である。
(備 考)
白居易三十五歳の作の 「長恨歌」 を簡単に開設しておく。
長編叙事詩の 「琵琶行」 とともに 「長恨歌」 は人口に膾炙したものである。
全編百二十句、八百四十字からなる 「長恨歌」 は白居易の特色である平易流麗で、劇的要素に富んでいる作品である。その大意を掲げてみる。

絶世の美女楊貴妃を得た玄宗は、貴妃を寵愛するあまり、政務を忘れて歓楽の限りを尽くした。そのため、安録山の反乱を引き起こし、夢は破られ、蜀へ都落ちするはめになった。
その途中、馬嵬 (バカイ)の駅で貴妃は殺され、一人取り残された玄宗は貴妃追慕にくれた。
乱が治まって、都へ帰っても、思いは募るばかり。ここで道士が登場し、仙界へ貴妃の魂を求めて探り当て、形見の品を受け取り、死しても変わらぬ愛の誓いの言葉を持って帰ってくる。
この 「長恨歌」 は後世の戯曲にも大きな影響を与えた。たとえば元曲では白仁甫の 「梧桐雨雑劇」 であり、明曲では屠隆の 「彩毫記」 であり、清の伝奇、洪昇の 「長生殿」 などである。わが国へも多大な影響を与えた。 『源氏物語』 の桐壺の巻をはじめ、 『枕草子』 『和漢朗詠集』 『大鏡』 『更級日記』 『平家物語』 『源平盛衰記』 『太平記』 等々に引かれ、明治以降でも、菊池寛の 『玄宗の心持』 や岡本綺堂の 『長恨歌』、井上靖の 『楊貴妃伝』 などがある。
関連HP⇒⇒⇒「長き恨みの歌物語」