いた
大槻 磐渓
1801 〜 1878

えん すい ぼう ぼうとして きょ はる かなり

かんほねてつ してさけ まつたしょう

ぼう とう たるいち ちん ほう そうゆめ

くすいた じゅう きょう
烟水茫茫去路遥

暮寒徹骨酒全消

?騰一枕蓬窓夢

過盡潮來十二橋

(通 釈)
もやのかかった一条の水、ふりむけば、いま来た水路が果てもなく続くかと思われる。
暮れの冷え込みは骨にまで徹して、酒の酔いも全く醒めてしまった。
醒めて気づいてみれば、酔って一眠りして夢を見ている間に、十二橋はとっくに過ぎてしまった。

○烟水==もや と水と。「烟」 は煙と同義。潮来は古来、水郷として、霞がかった春の景色でも名高い。
○茫茫==ぼんやりとしていること。「茫」 字は本来、水が遠く続くことをいうのである。この場合、同時に、水ともやとが溶け合って区別のつかぬことをも示している。
○去路==過ぎてきた道。ここでは水路。
○暮寒==夕暮れの冷え込み。
○消==酒の酔いが醒めること。
○?騰 (ボウトウ)==ぼんやりしていること。
○一枕==ひと眠り。 「枕」 には眠るの意がある。
○蓬窓夢==船中で見る夢。 「蓬窓」 とは船の屋形のこと。


(解 説)
潮来は、茨城県の常陸利根川周辺の水郷であり、小舟で水路を巡る 「十二橋めぐり」 で名高い。
潮来の町は、霞ヶ浦から流れ出る北利根川に面し、町の北部は市街地を形成し、南部は湿地帯で水田となっている。
この潮来の町は、元禄時代ころまで “板来” と綴られていた。町の歴史は古く、大化改新 (645) のころ、すでに常陸の国府 (現在石岡市) と鹿島・香取いぇの交通の要衝ともなっていた。
江戸時代になると、銚子から、あるいは水郷から利根川をさかのぼり、江戸川を下って行く回漕船で賑わい、河岸には仙台・南部諸藩の献米倉もつくられた。
潮来のすぐ南、北利根を隔てた目の前に、 “水郷十六島” がある。この十六島一帯は水路が縦横に通じている。この水路は島内の部落の人々の交通路で、どの家も船を持っている。農家では、この船に苗を積み、稲を積んで運ぶ。
水路をまたぐ橋も多い。総数四百はあるといわれる。この橋のうちでは加藤洲にある “十二橋” が有名だ。
“ままよ潮来の十二の橋よ、行こかもどろか思案橋” と潮来節にも歌われた十二橋を、女船頭さんの巧みに操る特別仕立ての船でくぐって行くと、やがて広々とした田園に出る。
涼風は水に波をさそい、風波のゆきつく田辺にはあしやまこもが茂り、かきつばた・あやめが咲き、鳥や虫の声も聞える。水郷ならではの情趣である。
詩は作者がこの水郷を訪れた時のものであるが、制作年は不明である。
(鑑 賞)
句々格調高く幽邃の趣にあふれている。烟を詠じたところは潮来らしいが、全体に “季節はずれの潮来” といったひとひねりした面白さを狙ったものである。