ひとけい てい ざん
李 白
701 〜 762

しゅう ちょう たか くし

うん ひと ってかん なり

あい ふた つながらいと わざるは

ただ けい てい ざん るのみ
衆鳥高飛盡

孤雲獨去閑

相看兩不厭

只有敬亭山

(通 釈)
たくさんの鳥が飛んでいたが、残らず空高く飛び去ってしまった。
空に浮んだひとひらの雲も流れ去って、私は一人心静かに座っている。
じっと見合って、互いに飽きないのは、ただ敬亭山だけだ。

○敬亭山==安徽省宣城県の北にある山。一名昭亭山とも査山ともいう。高さ約千メートル。
○衆鳥==多くの鳥。
○閑==静かな。
○相==互いに。
○両==李白と敬亭山。


(解 説)
敬亭山は安徽省宣城県の北にある。この山は李白が最も愛する斉 (南北朝) の謝?(シャチョウ) (玄暉) が宣城の太守となったとき、よく登って遊んだ。そこで、李白も、面影を偲び、独りでやって来てこの山に登り、山の景色を眺め楽しみ、自然と一体となったことを詠った。
李白は、この地にいくたびか遊びに来ているので、制作年代ははっきりしない。
(鑑 賞)
鳥どもも一しきり飛んでいたが、見えなくなる。ポッカリ浮んだ雲もゆっくり流れていった。そのあとに、少しも動かず、どっしりと敬亭山がこっちを向いている。
日がな一日、山と向かい合って静かにしている。すると、山と李白の間に、何とも言えない心の通いが感ぜられてくる。まことに不思議な詩である。
自然に没入、自然と一体と形容するのと、何かちょっと違った味わいがここにある。いうなれば、自然との友情のようなものだ。
鳥どもはチマチマして相手にならぬ、雲は孤独な顔をして相手になりそうだが、これも役不足。やっぱり敬亭山だけが俺の相手さ、と言わんばかり。
この山に対する特殊な感情は、 “謝?(シャチョウ) の山” というところからきているのだろう。
六朝詩人を評価しない李白も、ただ謝?(シャチョウ) にだけは尊敬の念を持ちつづけた。そのみずみずしい感覚には、さすがの李白も一歩及ばないと意識したらしい。
敬亭山のある宣城は、三百年前に謝?(シャチョウ) が太守 (長官) としていたところ。敬亭山を詠んだ詩もある。いわば敬亭山は李白にとって憧れの山だった。敬慕する謝?(シャチョウ) のゆかりの地へ来て、憧れの山に向かい合う。心ゆくまで山との会話を楽しんでいるのだ。