しゅう うた
李 白
701〜762


はく はつ さん ぜん じょう

うれい って かくごとなが

らずめい きょううち

いず れのところ にか しゅう そう たる
白髪三千丈

縁愁似箇長

不知明鏡裏

何處得秋霜

(通 釈)
わが白髪は三千丈もある。愁いの為に、こんなに長くなったのだ。澄んだ鏡の中に写るこの秋の霜のような白髪は、いったいどこからやって来たものなのか。

○三千丈==非常に長いさまをいう。
○縁==・・・因と同じ。・・・のために。
○似箇==如此、と同じ。このように。俗語的ないい方。
○明鏡==澄んだ鏡。
○秋霜==白髪を霜にたとえた。


(解 説)
天宝十三、四年のころ (李白五十四、五歳)、秋浦 (安徽省貴池県の西南八十里) の地で、我が身の年老いたのを嘆いた詩。秋浦歌は十七首の連作であるが、これはその第十五首にあたる。
(鑑 賞)
人生の晩年にさしかかって、放浪の末、その名もうら寂しい秋浦へやって来た。 「秋浦歌」 十七首の連作は、全体に哀愁の情が満ちている。中でもこの一首は、まさに千古の絶唱というにふさわしい。
まず、第一句、 「白髪三千丈」 という。何たる語の奇抜さ、何たる着想の妙。もとより三千丈の長さの髪の毛など、あるはずはない。それをあえて、おれの白髪は三千丈だ、といった、その心の深い悲しみに、読者は打ちのめされてしまう。
なんでこんなに白髪になったのだろう、という作者。われわれは、李白の、豪気で奔放な一生を知っている。それだけに、晩年の李白のこの悲しみに、また深い共感を覚えずにはいられない。
「白髪三千丈」 の句を称して、中国人の誇大癖の例とするがごとき者は、詩を読む資格はない。ドカーンと白髪三千丈、この句に打ちのめされrば、それでよいのだ。