ほう もん えい ちゅうさく
乃木 希典
嘉永二 (1849) 〜 大正元 (1912)


とう西ざい なん ぼく いく さん

しゅん しゅう とう つき また はな

征戦せいせん さい じん

壮心そうしん いえおも わず
東西南北幾山河

春夏秋冬月又花

征戰歳餘人馬老

壯心猶是不思家

(通 釈)
東西南北、各地に転戦して、いくつもの山河を越えて来た。その間、春夏秋冬、戦場で月を見、花を眺めて戦って過ごした。
露軍討伐の為に満州に遠征して一年余りが過ぎ、人も馬も老い疲れてはいるが、戦い抜いて露軍を撃破しようとする元気はなお旺盛で、家郷を思うような気持ちは少しも起こらない。

○法庫門==旧満州奉天の北にあった辺門 (国境の門)。
○征戦==従軍すること。
○歳余==一年余り。
明治三十七年五月に東京を発って旅順へ向かってから、すでに一年余りが過ぎている。
○壮心==さかんに勇む気持ち。戦い抜いて露軍を打ち破ろうとする気持ち。
○猶==やはり、変わることなく。


(解 説)
乃木将軍の第三軍司令官着任は明治三十七年(1904) 五月、旅順攻撃開始は同年六月、旅順開城は翌三十八年一月、これはその年の三月、すなわち、明治三十八年三月十日、奉天会戦勝利の後、敗走する露軍を追い、法庫門に陣営を構えていた折の作品。
戦争に明け暮れて一年余、なお意気軒昂たる心境を詠ったもの。九月に休戦となっているので、それより前の作と思われる。
(鑑 賞)
奉天会戦後、戦いの帰趨が明らかになった時期の作品であるだけに、 「爾霊山」 や 「金州城下作」 に見られるような悲壮なところはないが、一年余の戦場暮らしにもなお衰えぬ意気を詠う雄々しいものがある。
前年の二句は、 「東西南北」 と 「春夏秋冬」 と相対して滑らかな調子である。これは、あるいは白楽天の 「遠近高低寺間り出で、東西南北橋相望む」 (九日宴集) あたりにヒントを得たものか。滑らかな調子ではあるが、実際、国を離れて何千里、生田の山河を乗り越えて、春夏秋冬いやというほど異国の月や花に接してきたのであるから、その重みはズシリと響く。
後半は、乃木将軍らしい生まじめな姿が如実に表れている。あるいは、王昌齢の 「従軍行」 が脳裏にあったのかも知れない。
戦いに疲れ、ボロボロになってもなお、家郷を振り返ることなく、ひたすら前方をキッと見つめる。その雄々しい姿の中に、かえって、悲壮なものが感じられ、痛ましさに胸を打たれる感がある。