西さい きょう
廣瀬 淡窓
天明二 (1782) 〜 安政三 (1856)


おうじょう るい てき あき

昨日きのう英雄えいゆう いず れのところ にかもと めん

ちょう こうむか っておう だん ずるなか かれ

灘声たんせい げつ しょく うれ いに えず
龜王城壘荻蘆秋

昨日英雄何處求

莫向長江談往事

灘聲月色不堪愁

(通 釈)
亀山上皇の御代に築かれた防塁も、いまでは崩れて荻や蘆がぼうぼうと生い茂っている。
このようなありさまの中からでは、昔、ここで、武者どもが勇ましく戦ったことなど想像も出来ない。
川を見ながら、昔の戦のことを話すのはやめよう。往時と少しも変わらない川の流れと月の光とが、私の心にものの哀れを感じさせ、堪えられないほどだから。

○亀王==亀山上皇。文永の役に際し、 「敵国降伏」 を祈願した。現在、福岡市東公園に銅像が立っている。
○城塁==文永十一年 (1274) の元軍襲来の後、執権北条時宗が博多湾に沿って築かせた石塁。
○荻蘆==おぎ と あし。
○昨日==昔日の意。
○英雄==元軍と戦い、これを退けた武者どものこと。
○長江==長い川。中国では、長江といえば揚子江のことであるが、ここでは、福岡市東部を流れる御笠川をさす。
○往事==昔のこと。文永・弘安の役をいう。
○灘声==川の流れる音。


(解 説)
西教寺は、福岡市内にある寺。そこから、文永の役で、元軍の激戦のあった古戦場を望んで作られた。現在は東公園となっているあたりである。
いなは見るかげも無く崩れた石塁に、秋の草が生い茂って、往時の戦闘を偲ぶよすがもないが、ひとり川の流れる音と月の光とのみが往時を偲ばせてくれる事を述べている。
(鑑 賞)
現在、東公園となっているあたりから、筥崎宮の周辺で、元軍と日本軍との激戦があったのである。武士たちは、いまも残る石塁を楯として押し寄せる元軍を防ごうとしたが、その石塁は崩れかけ、過ぎた時間の長さを思わせる。
起句と承句は、それをサラリと述べている。結句は、いかにも淡窓らしく、静寂の中に、淡く感情を溶け込ませている。