ひこ ざん
廣瀬 淡窓
天明二 (1782) 〜 安政三 (1856)


彦山ひこざん たかところ のぞ氤?いんうん

木末ぼくまつ楼台ろうだい れてはじ めて かる

天壇てんだん ひと くし

香煙こうえんさん じて数峰すうほうくも
彦山高處望氤?

木末樓臺晴始分

日暮天壇人去盡

香煙散作數峰雲

(通 釈)
朝まだき、彦山の山頂のあたりは山気が立ちこめて、靄にさえぎられてぼんやりとかすんで、よく見えない。
やがて、日が昇るにつれて靄が晴れ、やっと梢の先に社殿がはっきりと見えはじめてくる。
先ほどまで、多くの修行者が集まっていた社殿のほとりも、日の暮れとともに人影は失せ果て、もうもうと焚かれていた護摩や香の煙は、三つの峰に分かれてゆき、雲となって漂っているように見える。

○望==仰ぎ見た眺め、眺望のこと。
○氤? (インウン) ==山気がたちこめて、靄にかすむこと。
○木末楼台==「木末」 とは梢のこと。 「楼台」 とは三峰の中岳にある英彦山神社の神殿のこと。梢の先に神殿が見える、という意味。
○晴==靄が晴れることであり、晴天の意味ではない。
○始分==「始」 はやっとという意味、「分」 は分明、はっきりすること。
○天壇==通常 「天壇」 といえば、中国の天子が天を祭る特定の場所をいうのであるが、この詩にあっては、彦山の山頂、すなわち神殿を指す。
道教では、中国の伝説上の人物、黄帝 (コウテイ) が天に祈ったという故事のある王屋山 (オウオクサン) の絶頂を天壇といっており、修験者たちが一心に祈り、あるいは修法に励む彦山を、道家の王屋山に見立てて用いた語であろう。
○香煙==香を焚く煙。 ○散==分散すること。
○数峰雲==解説に示したように、彦山の頂きは三峰に分かれている。祭壇で焚く香の煙が漂い分散して、あたかもその三峰にかかる雲のように見えることをいう。


(解 説)
彦山は、英彦山ともいい、標高1.200メートル、頂きは三峰に分かれ、古くから修験道場として栄えたが、明治以降衰えて、現在では耶馬・日田・英彦山国定公園に指定されている。大和の大峰山、出羽の羽黒山とともに、三大道場と並び称されて、多くの修行者を集め、一口に三千八百房と言われるほどに殷賑を極めたのである。
詩は、その彦山の絶景と、修験道場としての清高なたたずまいとを写して、淡窓七絶中の傑作と称せられるものである。
(鑑 賞)
この詩は、飾り気のない表現によって大らかに彦山の清高さを歌い上げ、唐詩にも譲らぬ風格を漂わせている。
また、その表現こそ簡潔であるが、極めて周到な配慮の施された構成を持ち、高低、遠近の空間的対比とともに、時間の経過にそって刻々と変化する彦山の眺めが、句を遂って表されているのである。
すなわち、起・承句は早朝から日中の、転・結句は日暮れどきの、それぞれの彦山の実景が巧みに描写され、同時に、起句では遠近を強調して、立体感に溢れている。