しょう
杉浦 重剛
1855 〜 1924


がくのぼ っててん しょう とす

みずかほこ ごう なるを

さん じょうやまいか んせん

これあお げばいつ そう たか
登嶽小天下

自誇意気豪

其奈山上山

仰之一層高

(通 釈)
山に登って下界を眺めると天下も小さいものだと思われ、自ら意気の豪なることを誇るのである。
だが、しかし、いま登りつめた山の上にもまた山がある。これはどうしたらよいのであろうか。
自分の登った山はかなり高いと思うのだが、山上の山は更に一層高く聳えている。
人間もこれと同じで、自分より一層上の人間が居る。決して慢心などすべきでない。

○嶽==大きな山。
○小天下==『孟子』 尽心上篇に 「孔子東山に登って魯を小とし、太山に登って天下を小とす」 とある。
東山、一名豪山。魯の城東にある山。魯は孔子の生まれた地。今の山東省の西部。太山は泰山とも書く。 中国第一の名山と称される。
孔子は東山に登って、魯の国を小さいと感じたが、さらに高い泰山に登って見れば、天下さえも小さいと感じた。
○自==「自」は 「みずから」 と読んで自分からの意とし、 「おのずから」 と読んで自然との意とする。ここでは 「みずから」 と読む。
○意気==意気込み。   ○豪==盛んな様子。
○奈==「いかん」 どうする。
○一層==本来はもう一つの層 (建物) の意味であるが、ここでは、日本語としての用い方で、さらにの意味。


(解 説)
英国留学を終えて帰国した時の作。
当時、洋行帰りはエリートとして社会に尊敬され、慢心が起こりやすかった。それを自ら戒めた作。
作者は二十二歳の時、英国に留学している。この詩はその留学を終えて帰国した明治十三年 (1880) の作。
当時、外国留学体験者は今と比べてはるかに少なく、外国に留学したということだけで高く評価され、栄達の道も開かれていた。
作者はそれに甘んずることなく、また、慢心することのないように自ら厳しく戒めて、この詩を作っている。
自訟とは自らを責める意である。 『論語」 に 「吾未だ能く其の過ちを見て内に訟 (セ) むる者を見ざるなり」 とある。教育者として自ら校長を勤めたり学校を創立したりして、教育に情熱を傾けた作者は、一日も勉学を怠ってはならないと自らを戒め、勉学には終りがないことを訴えようとしたのである。

(鑑 賞)
ほぼその生涯を教育に捧げたといってよい人であった作者が、人間教育のモットーを詩に賦したものであろう。解説に述べたとおりに、その一つは自責、自戒であり、その二つは本詩の転・結によく表れている向上心である。
この詩は平仄の配列が規則に合わない。というより、わざと無視したものである。短い言葉の中に、飾り気のない率直な心が吐露されていて、気迫がみなぎっている。規則の枠にはめられない大きさを感ずる詩である。