おう あそ
広瀬 旭荘
1801 〜 1878


はな ひら けば万人ばんじん あつ まり

はな くれば一人いちにん

ただ そう こう ちょう

りょく いん ふかところ ぶを
花開萬人集

花盡一人無

但見雙黄鳥

拷A深處呼

(通 釈)
桜の花が咲くと、何万とも知れぬ人たちが花見に集まってくるが、さて、いったん花が散ってしまうと、だれ一人やって来なくなる。
ただ一つがいの雌雄の鶯だけが緑濃い葉桜の木陰で、呼び交わしているのである。
(このように人は権勢利欲にあこがれ、招かないでも大勢のものが近寄って来るが、その人が地位、財産を失ったとなると、だれ一人として寄り付かなくなる。そうした折、旧に変わらない交情を示すものこそ真の人間である。)

○桜 祠==桜の宮
今の大阪市都島区中野町三丁目にある神社で、天照大神と応神・仁徳天皇をまつる。
古来花見の地として知られている。


(解 説)
夏の初めに大阪の桜の宮に遊んで作ったもの。いつの作か判らないが、堺や池田や大阪とは特に関係が深かったので、桜の宮の花見など幾度となく経験したろうと思われる。
(鑑 賞)
この詩は唐の于濆の 「感事」 の詩 「花開蝶枝滿 花謝蝶還稀 惟有舊巣燕 主人貧亦歸」 から脱却したものといわれる。原詩の結句は詩意のやや露呈するきらいがあるのに対し、この詩では、実況によりながら、全句比喩の形をとることにより、かえって含蓄を持たせることに成功している。