につ ぽん とう
大鳥 圭介
1817 〜 1911


たん けん いく ひゃく かい

霜鋒そうほう さん じゃく たまちり

うたが わずにつ ぽん とうさい なるを

かつ って盤根ばんこん 錯節さくせつこころきた
鍛冶研磨幾百回

霜鋒三尺玉無埃

不疑日本刀犀利

曾試盤根錯節來

(通 釈)
鍛えぬき、研きぬくこと幾百回であろうか、霜の如く光る切っ先を持つ、この三尺の日本刀に、埃一つ付いてはいない。 (見た目に美しいばかりでなく) 日本刀が犀利であることは、少しも疑いのないことだ。
何故といえば、あの諸派入り乱れて複雑怪奇な様相を呈していた幕末から維新ぶかけての動乱の時代を、まさにこの日本刀でもって切り開いてくることを試みた結果が明らかなのだから。

○鍛冶==金属をきたえること。
○霜鋒==研き澄まされて、霜のように光る切っ先。
○三尺==剣をいう。刀剣の刃の長さは、通常三尺を基準とすることから、このようにいう。
○玉==刀の美しさを玉にたとえる。
○犀利==堅く鋭いこと
○盤根錯節==「盤根」 はわだかまった木の根。 「錯節」 は入りくんだ木のふし。
物事の、処置に困る程複雑であることのたとえ。
幕末維新期の日本の状態をたとえている。


(解 説)
日本刀の美しさと、武器としての堅牢さをたたえた詩。あわせて、動乱の幕末から明治維新にかけての時期、日本と自分自身の歩んできた、混乱と緊張と辛苦に満ちた日々を追懐している。
(鑑 賞)
功成り名遂げての後の作であろう。眼前に日本刀を抜き放ち、その優美さと犀利さに見とれるうちに、雄心勃々として起こり、思わず二度、三度と素振りをしていそうな詩である。
剣舞の題材にされるのも、その為だろうと思われる。