いつ だい
山内 容堂
1827 〜 1872


かぜ妖雲よううん いて ななめ ならんとほつ

なん かん していえおも わず

たれ らんうち ゆう るを

うま郊原こうげん てて さい
風捲妖雲日欲斜

多難關意不思家

誰知此裏有餘裕

立馬郊原看菜花

(通 釈)
風は妖しい雲を捲いて、はや日も暮れようとしている。それはちょうど、大平の長い眠りを破って外国の艦船がわが海辺をしきりに覗い、いかなる事態が起ころうとするのか、予測もつかないさまに似て不気味である。
まことに国家の前途の多難が思われ、家のことなど、顧みる暇もない。しかい、このことのあるのは、前々から熟慮して来た所で、いまさら何を慌てようか。
自分がこういう時局に対してゆったりとした気持ちを持っていることなど誰も知るまいが、そこは胸中おのずから閑日月ありで、こうして乗馬を野中にとどめて、今を盛りの菜の花見物をする折も有るのである。

○逸 題==特に題をつけない詩。
○妖雲==妖しい雲。ここでは外国の艦船が海辺に出没することをいう。
○此裏==このところ。今の事態において。裏は処の意。詩に多く用いる俗語。
○余裕==ゆったりとして迫らないこと。
○郊原==野原。田野。


(解 説)
外国の艦船がわが国をうかがうとうになってから、にわかに国内は騒然としてきているが、英雄の胸中にはおのずから閑日月ありとの意を詠じたもの。
(鑑 賞)
起句は実景を借りて時局の暗澹たる事をいい、承句と転句では、この間における事故の心情をそのまま詠んでいる。結句はまた実景によって、胸中に閑日月のあることを示している。句の構成もおもしろく、景と情とを自然に融合させており、印象が鮮明である。