いつ だい
篠原 国幹
1836 〜 1877


うまりょく こうみずこ うは たしていず れの

いつ ちょう こと ってそう たご

かん たれかい せん英雄えいゆううらみ

そで にしてしゅん ぷう らつ えい
飲馬緑江果何日

一朝事去壯圖差

此闥N解英雄恨

袖手春風詠落花

(通 釈)
虎の威を借る狐のごとく、大国清を後ろ盾とした最近の朝鮮の無礼は日ましに増大、今にしてこれを打たずんば悔いを千載に残すであろう。
かの秀吉のように、兵を繰り出して朝鮮を征伐し、軍馬に鴨緑江の水を飲ませるのはいつのことであろうか。さして遠い日ではあるまいと想い、日々軍令の下るのを待っていたが、なんと西郷先生以下の面々の 「征韓論」 は破れ、遠征の機会は去り、わが雄図も空しく故郷に帰った。
この英雄失意の無限の痛恨を誰が理解し得ようか。今はただ、春風に散る花を眺め、漫然と詩を作っている日々である。

○緑江==鴨緑江。朝鮮と旧満州の境界を流れる大河。
○事去==征韓論破れての下野をいう。
○壮図==さかんなるはかりごと。ここでは征韓をさす。
○英雄=すぐれた大丈夫。ここでは自身をいう。
○袖手==手をこまねく。何もしないこと。


(解 説)
この詩は明治六年 (1873) 征韓論が退けられ、西郷と共に郷里の鹿児島に帰った後の作。
征韓論の行われぬ不平と、日々の無聊を述べたもの。起句踏み落とし。
(鑑 賞)
壮図空しく故郷に退居し、風流韻事に一時のたいくつさを紛らわしているものの、烈々たる気迫を内に秘め、やがては素志を貫かなくてはやまぬものを感じさせる。
自ら英雄をもって任じ、時至らば敢行しようとする決意を率直に述べている。