ぐう せい
松平 春嶽
1828 〜 1890


年々ねんねん かい あら たなるを

さいみがみがきそ うてはか

ひるがえ ってうれしゅう ぞく はくなが るるを

ちゅう せいまも るは幾人いくにん
眼見年年開化新

研才磨智競謀身

翻愁習俗流浮薄

能守忠誠有幾人

(通 釈)
世の中は、年を逐って開化と称する欧化が進んでいる。人々は競って西欧流の技術や知識を学んで身につけ、立身出世を図っている。
往事、学問をしようとするほでの人であれば、ます第一に天下の為に学んだことと比べれば、今の学問をする人の風気の軽薄におもむくことは、まことに愁うべきことである。こうしたときに、天下国家の為にする志を忘れずに守っている者はどれほど居るであろうか。寥々たるものであろう。

○開化==文明開化。文化の進むこと。ここでは欧化と同義と見たい。
○才==秘術。ここでは技術を意味すると見る。
○智==知識。
○謀身==一身の栄達をのみ考えること。
○習俗==風気。風俗という意味もある。
○浮薄==うすっぺらのこと。軽薄に同じ。
○忠誠==天下万民の為にする志。


(解 説)
明治の世となり、文明開化で浮薄に流れる風潮に対し、天下国家のことを考える大切さを述べたもの。
維新以後、人々は皆開化の風に染まり、競って才智を磨いてはいるが、畢竟、おのれ一人の立身出世の為であるに過ぎない。
そのような風潮を苦々しく見つめる詩である。
(鑑 賞)
時流に乗って、ひたすら立身出世のみを考える、また、そのためにのみ学ぶ知識人達の、春嶽の苦々しい思いが、 「眼に見る」 の語に込められているように思われる。
青年たちは、権門に取り入って、その知遇を得ることを立身出世の早道と考え、知遇を得る為の手段として一芸に擢んでようとしたのであった。
維新直前まで幕府の要職にあって、命がけで天下国家の為に奔走し、非命に斃れた多くの逸材たちを見てきた春嶽の目には、俊秀の犠牲の上に実った開化という果実にたかる人々は、舌打ちの一つも出てしまうくらいに、醜い存在と映ったことであろう。
裏返して読めば、往事、一身を顧みずに国事に奔走して斃れていった人々に対する挽歌と見ることもできる。