ごく ちゅうさく
橋本 左内
1834 〜 1859


じゅう ろく ねん ゆめごと

かえり みて平昔へいせきおも えばかん ますます おお

てん しょう大節たいせつ かつ心折しんせつ

しつ ぎんせい うた
二十六年如夢過

顧思平昔感滋多

天大節嘗心折

土室猶吟正気歌

(通 釈)
二十六年の生涯は、まるで夢のように過ぎてしまった。過ぎ去った日々を振り返れば、感慨はいよいよ多い。
かの文天祥の守り抜いた節義には常々感服していたが、いまこうして文天祥と同じように土牢の中に囚われていると、土牢の中で悠然と正気の歌を吟じていた人となりが、ますます慕わしく思われるのである。

○二十六==左内の全生涯である。
○平昔==かっての日々。昔日と同じ。
○感==感慨。
○天祥==南宋末の中心文天祥のこと。
元軍の侵攻に最後まで抵抗したが捕らえられ、牢中で 「正気歌」 を作り、宋王朝に殉じた。
○大節==大いなる節義。宋朝に殉じたことをさす。
○心折==感服すること。
○土室==牢。


(解 説)
安政五年 (1858) いわゆる安政の大獄によって幽囚の身となり、同六年、伝馬町の獄に投ぜられた時の心境を述べた時の詩である。
(鑑 賞)
起・承の二句を見れば、すでに刑は確定したのであろうか。死の直前の心境といえよう。
しかし、恐れよりは、自らの信念に対する強い確信が胸を打つ。
いま、自分が文天祥の心を十二分に理解しているように、処刑の後、必ずや自分を正しく理解し評価してくれる人物が出てくるであろうと確信しているのだ。
起・承句の表現は過去を振り返るものとしては常套的な、むしろ陳腐なものといえよう。だが、わずか二十六歳で志半ばに倒れる人物の口から出るのであれば、かえって、その常套が無限の感慨を込めるものとなる。つまり、これ以上何もいえない、という真率っさが読者を打つのである。