ぼく すい しゅうせき
安積 艮斎
1791 〜 1860


しも ちて 滄江そうこう しゅう すい きよ
すい つえたす けられて ぎん じょう
こう なか いてかぜちから
白雁はくがん たか んでつきこえ
しょう <下燈光とうこう びょう しず かに
えん ちゅうじん いつ せん
雲山うんざん いま げず平生へいぜいこころざし
ところ いささまさえいあろ うべし
霜落滄江秋水清

醉餘扶杖寄吟情

黄蘆半老風無力

白雁高飛月有聲

松下燈光孤廟靜

煙中人語一船行

雲山未遂平生志

此處聊應濯我纓

(通 釈)
秋が深まり、霜の降りる頃ともなれば、蒼く広々とした大河隅田川の流れはいよいよ清く澄みわたる。
酔後、ひとり杖を曳きつつ、この川岸に歩を運び、詩情にひたる。すでに芦の葉は半ば枯れて黄色くなり、吹く風にもなんとなく力が無い。
折りしも、天高く白雁が鳴き渡るのを見やれば、その声が、あたかも月の中から聞こえてくるようである。
ぽつんと建てられた松林の中の祠には燈火がほの見え、薄明かりの夕靄の中には人語だけを残して、一艘の船が過ぎて行く。
平生は都塵と喧騒の中にあって齷齪過ごし、雲山の彼方故郷に起臥して、自然を友として悠々自適の暮らしをしようと願っても、それが叶わない身であるからせめて、この清流で冠のひもを洗い、心を清めることにしよう。思えば官途ついて久しく、いささか冠のひもも汚れたものである。

○墨水==隅田川。
○霜落==秋も深まって霜の降りること。
○滄江== (滄) は川の水の青色をいう。つまり、青い墨田川の流れ。
○扶杖==杖をついて、杖にすがって。
○寄吟情== (寄) は託、また遺の意。吟情は吟懐などと同じく詩情・詩歌を作る心。心ゆくまで詩情を遣る、満たすこと。
○黄芦==枯れて黄色くなった芦。
○風無力==微かに風のそよいでいるさま。
○白雁==黄芦に対して用いた。色対の例。
晩秋の頃、北中国地方に来る候鳥の一種で、雁に似ているがやや小さくて白い。
○孤廟==元来はただ一つ離れて建つ神社の意。
詩中に (松下燈光) とあるところから、おそらく松林に囲まれた白鬚神社であろう。浅草寺という説もある。
○雲出未遂平生志== (平生未遂雲出志) を倒置して使用したもの。平生故山に起臥したいものと思いつつも、その志の遂げられないことを言ったもの。
○此処==隅田川畔の堤。
○聊==いささか、かりそめ、しばらく、すこし などの意。
○濯我纓== (纓) は冠の紐。清流に冠を洗う。心を清めるの意。


(解 説)
晩秋、江戸・隅田川の静かな夕景を眺めながら、自分の感慨を詠じたもの。
作者の晩年、昌平黌の教授時代の作品。
まず、深まり行く秋、そして清澄な隅田川の流れを詠じ、続いて、川岸の芦の葉、川の上空を飛ぶ雁、さらに天空に輝く月、そして、周辺の人家、川舟が行くのどかな夕景をうたい、そうした自然を友とした悠々自適の生活をしながら、しばし、我が心を清めたいという、官職についてから感じている自分の心境を述べている。
(鑑 賞)
艮斎が幕府儒官になったのは、将軍家慶 (十二代) の嘉永三年三月である。
世情は、すでに艮斎を昌平黌教授として育英のみに専念することを許さず、艮斎は、しばしば外国書の翻訳、それに基づく外国事情の諮問などにも応じている。
こうした立場の中で、もともと、天地、自然を愛し、山水を友とすることを好んだ艮斎は、時として公務を忘れ、ゆっくりと自然に親しむ時間を持ちたかったに違いない。
「終年、官職に束縛せられ、山水自然の楽しみを得ざれば、しばらく隅田川の風景を以って煩襟を洗わん」 という一文は、そうした艮斎の気持ちを端的に表している。
この詩を鑑賞するにあたっては、まず、この艮斎の胸中を知らなければならない。そして、この胸中を察すれば、晩秋の夕暮れ、隅田川の堤に立って、滄く清い水の流れと辺りの自然の営みを見ながら (雲出未だ遂げず平生の志 此処聊か応に我が纓を濯うべし) と詠んだ心境がよくわかる。