とう ろう
釈 絶 海
1336 〜 1405


いつ てん しん しゅうあら

ともたずさ えておな じくのぼこう じょうろう

のぞ かんとほつちゅう せん せん うらみ

断烟だんえん じゅ うれい えず
一天過雨洗新秋

携友同登江上樓

欲寫仲宣千古恨

斷烟疎樹不堪愁

(通 釈)
さっと通り雨が過ぎ去った後は、空一面洗われたように晴れ渡って初秋の気がすがすがしい。
そこで友人とつれだって川辺の高楼に登り、あたりを眺め渡した。
はるかな昔、かの王粲も楼に登って心の愁いをさっぱりとなくそうとしたが、自分も同じ心の憂さを一洗したいと思うたのに、見える限りはおちこちにかかる秋の霧、木々も落葉して枝もまばらなものさびしい景色ばかりで、何とも悲しい気持ちに堪えきれなくなってしまった。

○一天==そら一面、満天の意。
○過雨==通り雨。むらさめ。
○新秋==初秋。陰暦七月もころ。
○仲宣==王粲の字。後漢の人。建安の七才子の一人。
○千古恨==遠い昔の王粲の無念な思い。反乱が鎮定して、平和な世となり、王道の政治のためにそに才力を発揮しようとの念願も達せられず、漂泊すること十二年、むなしく他郷にあって人に寄食する現状を残念に思うことをいう。
またいつまでも尽きぬ恨みとも解せる。
○断烟==烟は、霞・霧また炊煙などその場に応じて解されるが、ここではちぎれちぎれの霧。あちらこちらに立ち込める霧。
○疎樹==葉が落ちて枝がまばらに見える樹木。


(解 説)
この詩は、絶海が王粲の 「登楼賦」 をかりて、心中の憂愁を述べたものである。
いつ作られたか判らないが、おそらくは将軍義満の不興を買って退居していた頃の作品ではあるまいか。
王粲は後漢末の乱を避けて流浪すること十二年、ついに荊洲の劉表に身を寄せるが用いられず、天下の統一、王道の実現の機は到来せず、大才を抱いて空しく朽ち果てる身の不遇を思い、楼に登って悶々の情を一洗しようとしたが、望郷の感のみしきりに起こって堪えられなかった。
絶海の隠遁時代の心境は、これに通ずるものがあったと思う。
この詩を在明中の作とする説もあるが、そうだとすれば都を思う点に共通点を見出せるが、在明の頃の絶海は日本詩僧として名声を博した得意時代で、王粲の落魄放浪の頃の心情とは大いに異なるものがあったろう。
(鑑 賞)
起・承においては、新秋における雨後登楼の感がなだらかに出ている。それを転句に仲宣登楼の故事を引くことにより局面を暗転させ、古淡蒼涼の句によって全編を収めている。絶海の作の中でも傑作とするに足りる。