つい とう
安達 漢城
1864 〜 1948


人生じんせいゆめごとまた けむりごと

きみ いて茫々ぼうぼう うた暗然あんぜん

髣髴ほうふつ たる温容おんよう べどもこた えず

大空たいくう 漠々ばくばく うら綿々めんめん
人生如夢亦如烟

君逝茫茫轉暗然

髣髴温容呼不答

大空漠漠恨綿綿

(通 釈)
友を失ってみて改めて感ぜずにはいられないのは、人生は夢の如くまた烟の如く、はかないものだということである。
君がこの世を去ってしまって、自分はただ茫然として、目の前が真っ暗になった。
君のことを思うと、あの穏やかな顔がぼんやりと浮んでくるが、いくら呼びかけてみたところで答えてくれるはずもない。
ふり仰いでみれば大いなる虚空は果てしなく広がり、恨みは果てしなく綿々として残るのみである。

○如夢==夢のようにはかなくも瞬く間に過ぎてしまうことのたとえ。
○如烟==如夢と同じように、人生ははかなく、終えてしまえばまた烟のように跡形も残さないことのたとえ。
○逝==逝去。 ○茫茫==遠く広いさま。
○転==ますます。 ○暗然==暗い様子。
○髣髴==思い浮ぶさま。
○温容==生前の穏やかな顔だち
○漠漠==広々としたさま。
○綿綿==長く続いて絶えぬさま。
○大空==何もない空間、虚空の意。


(解 説)
生前とりわけ親しかった知己を失った時、その追悼の詩として作ったもの。
親しき者を失った追悼の情を率直に表した詩として、一般の葬儀でもよく吟じられる。
(鑑 賞)
二十八字中に、「茫茫」 「漠漠」 「綿綿」 と畳語が三つ、 「暗然」 「髣髴」 と形容詞が二つ、 「夢の如く、烟の如し」 と繰り返しが重なって詩としての味わいを薄くしているのは否めない。だが、親しき友を失った人間の、茫然とした空しい、悲しいさまを、いってみれば、どうしようもない生の情をそのまま表現した作品と見れば、逆に人間としての共感は大きい。
一般の葬儀でよく吟じられるという事実も、この詩のその辺りの価値を端的に物語っている。