しょう ぐんばん
杉浦 重剛
1855 〜 1924


せき じょうねつ けつ れきそん

しょう ふう げんつと

しん 明明めいめい また 白白はくはく

しん しゅうせい きみ ってとうと
赤城熱血存餘瀝

松下遺風傳不言

心事明明還白白

~洲正気頼君尊

(通 釈)
将軍は赤穂義士が割腹したゆかりの地で生まれ、その影響により忠義の心が厚く、伯父から松下村塾の教えを受け、その感化により勤王の志が深いのである。
(このたび、明治天皇に殉じて自殺を遂げたが、) その心中はまことに明々白々、至誠純忠のほか何物でもないのである。
わが神国日本に存する正大の気の尊厳が、将軍の殉死によりはっきりと世間に知らされたのである。

○挽==死を悼んで詩歌を作る。もと葬儀のとき柩を乗せた車を引きながらうたう歌を挽 (輓) 歌という。
○赤城熱血==切腹した赤穂四十七士の忠烈をいう。
乃木将軍は江戸麻布日ヶ窪の長州候上屋敷内で生まれた。そこはかって赤穂四十七士の一部の者がお預けになり、自刃した所で、将軍の父は四十七士を武士の鑑として常に語り聞かせたという。 「熱血」 といったのは、はげしい真心というだけでなく、切腹したことにかけていっている。
○餘瀝==あとに残したしずく。今も残る影響。
将軍の体内に忠義の精神を残し、将軍は君のために切腹している、そこまで響かせて解してよかろう。もと杯の酒などの余ったしずくをいい、転じて人の恩恵に例える。ここでは、上の 「熱血」 受けていい、後世まで残った影響の意になるが、四十七士が切腹した所であるから、縁語で 「熱血」 といい、また 「餘瀝」 といったのである。
○松下遺風==吉田松陰の松下村塾の教育の後世に残した影響。
乃木将軍は十六歳の時、伯父玉木文之進のもとに奇遇してその薫陶を受けた。文之進は吉田松陰の叔父であり、またその師でもあった。文之進は将軍に対し、松陰の 『士規七則』 などを与え、武士の心得などを教えた。将軍は松陰から直接教えられなかったが、その影響を受けたことは多大であった。
○伝不言==教えなくても自然に伝わる。
松陰が直接教えなかったことも含めている。
○心事==心に思う事柄。心中の考え。
○明明還白白==きわめて明白である。純粋ではっきりしている。
乃木将軍は西南の役で敵に軍旗を奪われ、さらに旅順の戦いに数万の死傷者を出したことを、罪万死に値すると考えていた。ただ、明治天皇の御仁慈により、かりそめの命を保っていたが、その明治天皇が崩御された今は、寸刻もこの世に長らうべきではないと考えて自殺を遂げたのである。作者はこうした将軍の心境は、きわめて純粋かつ明白であるとしている。
○神洲==神国。わが国の美称。神が開き神が守る国。
○正気==万物の根本である純粋な気。宇宙に満ちふさがる正しい活力。正大の気。


(解 説)
この詩は作者が純忠無比の武人として敬重していた乃木将軍が、大正元年九月十三日、明治天皇御大葬の夜、これに殉じて自刃したのを痛惜して作ったもの。起句踏み落とし。
(鑑 賞)
起・承は将軍の人間形成の素因が、その環境と薫陶とにあることをいい、屈折を含んできめ細かい表現なのに対し、転・結は直線的で力強く簡潔な句である。
転句では、よく将軍の心を知る作者の認識の確かさを見せており、結句ではわが神国日本に対する天地正大の気の顕現として将軍を賞讃しており、読者をして粛然として襟を正さしめるものがある。