きょう ひがし やま
徳富 蘇峰
1863 〜 1957


さん じゅう ろつ ぽう くも 漠漠ばくばく

らく ちゅう らく がい あめ 紛粉ふんぷん

とう 短褐たんかつ たってなみだふる

あきひや ややかなりじゅん なん れつ はか
三十六峰雲漠漠

洛中洛外雨紛粉

破?短褐來揮涙

秋冷殉難烈士墳

(通 釈)
東山三十六峰は一面の雲に覆われて淋しく薄暗く、京都の町中も郊外も雨がびしゃびしゃと乱れ降っている。
この雨の中を破れ笠をかぶり、ぬのこをまとい、殉難烈士の墓前に涙を流してぬかずけば、秋気はことのほか肌に冷たく感ずるのである。

○三十六峰==京都東山の峰々。
○漠漠==広くとりとめのないさま。さびしいさま。ここでは薄暗い意も含まれている。
○洛==京都のこと。中国の洛陽の都から転じた。 「洛中洛外」 は京都の市中と郊外。
○紛粉==乱れ降るさま。
○破? (はとう) ==破れ笠。
○短褐==布子。丈の短い粗末な布で作った着物。賎しい身分の人が着る。
○揮==まきちらす。ぽたぽた落とす。
○殉難==国家の危機を救う為に命を捨てること。
○烈士==気性が激しく節義を守る人物。
○墳==墓。土を高く盛り上げた塚。


(解 説)
この詩は作者が明治十七年、二十二歳のとき、京都東山にある土佐藩士坂本竜間・中岡慎太郎らの墓に参拝した時のもの。
この両人は討幕運動の大原動力となった薩長連合の成立の為京都を中心に精力的に動き回って両藩の要人と会い、同連合をみごとに成立させたが、その後、やがて成就した王政復古の大業を見るに至らずして暗殺された。
その死はあまりにも早く、かつ痛ましいものであった。

(鑑 賞)
起句と承句とが相まって雲深い東山と、見渡すかぎり秋雨にけぶる京都とを描き出し、転句では、そこに立つ作者の姿を点出する。
結句においては、殉難烈士の墓前における、冷えびえとした秋気により、読者に自らその場に在るような実感を起こさせる。
作者の青年時代の情熱のこもった傑作といえる。