さん
石川 丈山
1583 〜 1672


仙客せんかく たりあそ雲外うんがいいただき

しん りゅう どう ちゅうふち

ゆきがん ごとけむりごと

白扇はくせん さか しまにかか東海とうかいてん
仙客來遊雲外巓

~龍棲老洞中淵

雪如?素煙如柄

白扇倒懸東海天

(通 釈)
仙人が来て遊んだという、神聖な富士山の頂きは雲を抜いて高く聳えている。
また山頂にある洞窟の中の淵には、神竜が年久しく棲みついていると伝えられる。
冬の頃の霊山を下界から望めば、山頂から山すそまで純白の雪におおわれ、扇に見立てるならば、白絹を張った扇面にあたり、その上に立ちのぼる噴煙は、扇の柄にあたる。
まるで東海の空に白扇がさかさに掛かっているようで、その雄大な眺めは、実に天下第一等の山の名に背かぬものである。

○神竜==神変霊妙な働きをする竜
○?素 (ガンソ) ==白い生絹。白い扇面をいう。
○柄==開いた扇の扇面以外の三角形になっている骨の部分。
○白扇==扇はうちわ。ここではおうぎの意。


(解 説)
丈山の詩は、隠遁中の作が非常に多い。この作品もその一つである。
霊峰富士の神秘を述べ、東海の天に白扇を倒懸する雄大秀麗な山容を賛嘆している。
(鑑 賞)
「田子の浦ゆ う うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高値に 雪は降りける」
とよんだ山部赤人の歌をはじめ、富士に関する詩文はきわめて多いが、その中でもこの詩は最も人口に膾炙しているものの一つである。
その和習を嫌い、着想の俗をいう向きもあるが、まだ詩運の開けぬ当時において丈山がここなで作りこなしたのは、さすがに老手といわねばならない。
その師藤原惺窩もその将来を占って、 「この人物必ず詩宗とならん」 といい、あまり人をほめない荻生徂徠さえ 「東方の詩傑」 と賛えた。
かって権式という朝鮮の詩人がわが国を訪れ、丈山を評して 「日東の李杜 (李白・杜甫)」 といったのもうなずける。
「扇は団扇のことで、白扇の形容は当らぬ」 とか 「扇には柄はない」 とかいう批難はあるが、そういう常識的な発想で表現しなかったところにこの詩の特色がある。