りょう えい ゆう
徳富 蘇峰
1863 〜 1957


堂々どうどう たる錦旆きんぱい 関東かんとうあつ
ひゃく まん せい だん しょううち
ぐん しょう らずてん はかりごと
せん しゅう あい たいりょう 英雄えいゆう
堂堂錦旆壓關東

百萬死生談笑中

群小不知天下計

千秋相對兩英雄

(通 釈)
錦の御旗を先頭に、討幕の官軍が堂々と進軍して関東を威圧している。
この危機にあたって、江戸百万の庶民の生死は西郷、勝 の談笑の中にかかっている。
物事を見きわめることのない群小どもには、二人の画く大計など知るはずもないが、両者相対する姿は、永遠に伝えられるであろう。

○錦旆==錦の御旗
○圧関東=薩長主体の討幕の軍勢が西から上って来て関東を威圧すること。
○談笑==西郷と勝との対談。 「笑」 の字を用いたのは、二人の大人物であることを示している。百万人の生死を左右する一大事を目の前に控えても、泰然としてお互いの立場を尊重し合い、決して血気にはやったりしない。
○群小==物事を見きわめることの出来ない多くの小者。
○天下計==天下の趨勢として、赴くところへ赴かしめる西郷と勝との考える大計。
○千秋==千年。永い年月。


(解 説)
西郷隆盛と勝海舟との偉大な人柄と力量とを称えて詠じたもの。
明治元年 (1868) 二月二十八日、幕府親政の詔が発せられ、薩長連合軍は東進、江戸を目指し、薩長と幕府との間で一戦必至かと思われた。
そのとき、勝海舟は徳川慶喜の意を体し、事実上、幕府の代表として、一方西郷隆盛は薩長軍の参謀の立場から、三月十三、十四の両日、高輪の薩摩邸で会見し、四月十一日の江戸城無血明渡しに導いた。

(鑑 賞)
官軍が押し寄せて、いまや一触即発の危機にあっても少しも慌てず、談笑の中に天下の大計を腹を割って話し合う西郷、勝 の度量には誰が見ても敬服するほかはない。
蘇峰も、 「堂々」 「圧す」 「百万の死生」 「千秋」 と、大きい表現の語を多用し、英雄を詠ずるのにふさわしい迫力をみなぎらせている。
やや肩肘張りすぎた感がないでもないが、血気ほとばしって勢いがある。剣舞にも適する作品といえよう。