おう りんおく
李 白
1701 〜 762

李白乘舟將欲行

忽聞岸上踏歌聲

桃花潭水深千尺

不及汪倫送我情
はく ふね ってまさ かんとほつ
たちまがん じょう とう こえ
とう 潭水たんすい ふかせん じゃく
およ ばず汪倫おうりんわれおく るのじょう

(通 釈)
我輩李白は舟に乗り、いよいよ出発しようとすると、ふと岸辺で足を踏んで調子を取りながら歌う声が聴こえて来た。
汪倫が私との別れを惜しんで見送りに来たのだ。この桃花潭の深さは千尺もあると思われるほど深いが、汪倫の情けの深さにはとても及ばないなあ。

○忽聞==ふと聞こえる。
○踏歌==足を踏んで調子を取って歌うこと。
○桃花潭==安徽省県の西南一百里にあるふちの名、どのぐらい深いかわからないという。


(解 説)
天宝十四年 (755) 李白五十五歳の時、県 (ケイケン) の桃花潭 (トウカタン) に遊び、そこで、村人の汪倫にいつも美酒をふるまってもらった。李白はそのお礼として別れに際し、汪倫に贈ったのがこの詩である。汪倫の子孫はこの詩を家宝としたといわれる。
(鑑 賞)
第一句、自分を 「李白」 といっているところが、いかにも相手の汪倫に対する親愛の情を表している。思うに、汪倫はこの辺りの村の長であろう。 自らよく酒を醸し、名士李白先生を快くもてなしたに違いない。
李白の人生は、このような人の好意によって、気ままに過ごすことが出来たのだ。ということは、李白の性格が開けっぴろげで飾らず、かっては翰林共奉というような官にありながら、庶民と対等に交わったのが、庶民の側では嬉しかったと思われる。
李白先生、何処へ行っても人気があったとみえる。この村にも汪倫の好意に、つい長逗留して、いよいよお別れ、というときに、ふと聞こえたのは汪倫が村の衆と一緒に足を踏み鳴らしながら歌を歌ってやって来る声。その嬉しさを率直に表現したのが、この詩である。
ちょうど、深さも知られぬという桃花潭の水にひっかけて、汪倫の友情の深さに比した。これも着想の妙である。
誰にでも好かれる李白の、明るい人生の一コマが、みごとに描かれている作である。