なん こうえい
日柳 燕石
1817 〜 1868


にっ ぽん聖人せいじん
楠公なんこう
あや まってかん まれ
けんひっさげ英雄えいゆう
日本有聖人

其名謂楠公

誤生干戈世

提劍作英雄

(通 釈)
わが神州日本に、気高いぐらいの魂を持った聖人がいる。その名は楠木正成公という。
どうしたはずみか、誤って戦乱の世に生まれ、剣をひっさげて、賊将どもを成敗して英雄になった。

○干戈世==戦乱の世。「干」 はタテ、 「戈」 はホコ。「干戈」 で戦争の意。


(解 説)
作者自身が尊敬して止まない楠木正成をたたえた作品。勤王の志きわめて厚く、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、西郷隆盛らと交わった。
そしてまた、勤王の士として名高い楠木正成を聖人とまで呼んで慕っていた。その楠公への思慕を直截に表したのが、この詩である。ただし、詩としては平仄も叶わず。形が整わない。

(鑑 賞)
生来、豪侠の人であり、博徒数百人がその家に出入りし、榎井村近辺の大親分として知られた燕石は、また歴史に通じ、詩文書画をよくする人でもあった。
頼山陽に啓発されて勤王の志を起こしたのであるが、勤王の人としての理想像を、楠木正成に求めたようである。
いつ頃の作か定かではないが、あるいは、出入りする無学な配下にでも示したものであろうか。
平明直裁で、何の衒うところもない。人となりが生のままに出た、と見るのも良かろう。慷慨の気性を技巧を用いるのももどかしく、激するままに思わずほとばしり出た情念、ともいうべきであろう。