いな むら かい
太宰 春台
1680 〜 1747


てい なん ぼう すればえん こう たり
くならくさん ぐん れより ぐと
ちょう すい らい してじん あらた まり
空山くうざん ちょう てい 夕陽せきよう おお
沙汀南望浩煙波

聞説三軍自此過

潮水歸來人事改

空山迢遞夕陽多

(通 釈)
稲村が崎の砂浜からはるかに南の方を見やれば、広々とした波の上に靄が立ち込めている。
かの名将新田義貞はここから干潟を渡り、大軍を率いて鎌倉に攻め入り、北条高時を滅ぼしたと、かねてから耳にしている。
いったん退いたこの海水が、またもとに帰り、波は浜辺に打ち寄せているが、人の世のことはすっかり昔と変わってしまっており、ただ人気のないものさびしい山がいっぱいに照らす夕陽を受けて、遠く連なっているばかりである。

○沙汀==砂の波うちぎわ。砂浜。
○煙波==もやのこもった波。
○聞説==聞くところによれば。聞き及ぶには
○三軍==大軍。
○空山==人の居ないさびしい山
○迢逓==はるかに遠いさま。


(解 説)
元弘三年、新田義貞が大軍を率いて鎌倉の稲村が崎に至り、宝刀を海中に投じて潮を退かせた昔を追懐した作。

(鑑 賞)
春台は徂徠門下にあって経学を代表する人物であり、その性格も学問も詩とは縁遠いかのように思われるが、その一面に詩人としての優れた素質を備えていた。江村北海も 「その人名教を以って自ら任ず。而して詩も亦観るべし」 (『日本詩史』) といっている。
春台は 「懐古」 の詩を得意とした。 「懐古」 の作は単なる叙景でもなく、抒情でもなく、史的感慨を中心として景情一致にその妙が存するのである。
この詩、稲村が崎の遠望から懐古に入り、自然の悠久と人事の改変との対比により無限の感懐を述べている。格調の高い詩である。