だんうら
村上 仏山
1810 〜 1879


ぎょ そう かい しゃ あめ けむり
りゅう ひとり だんうらほとり
千載せんざい帝魂ていこん べどもかえ らず
しゅん ぷう はらわた もすそ かわ
魚荘蟹舎雨爲煙

蓑笠獨過壇浦邊

千載帝魂呼不返

春風腸斷御裳川

(通 釈)
見渡せば、漁師の小屋が点々と、折からの雨にかすんでいる。ここ壇の浦の辺りを自分はただ一人蓑笠をつけて通っているのである。
あの幼い安徳天皇が御入水遊ばされてからはや千年、いくらお呼びしても御魂はおかえりにならないのである。
いま春風そよぐ御裳川の辺にたたずめば、当時のことがしのばれて、腸はちぎれるばかりである。

○魚荘==漁家。漁夫の家。  ○蟹舎==魚荘と同じ。
○千載==安徳天皇入水、平家滅亡の年は寿永四年 (1185) で仏山の没年は明治十二年 (1879) であり、最大限に見ても六百九十五年をへだてているだけであるが、概数をあげて千載といったのである。
○帝魂==安徳帝の御魂。
○呼不返==どんなに呼んでももどらない意。
○御裳川==壇の浦に注ぐ小川の名。


(解 説)
この詩は春雨の中で壇の浦を過ぎ、ここで入水された安徳天皇の御魂を弔ったもの。

(鑑 賞)
起・承では、春雨にかすむ壇の浦の寂しい景色と、雨に濡れて一人行く蓑笠姿の作者を描き出している。 そのやめ読者もいつしか作者と共に、その場にあるような気持ちになっている。
転・結ではそれを受けて、作者は御裳川のところで足をとどめ、遠い昔に思いを馳せる。そのため、御入水された幼帝のいたましい御身の上に対する作者の無限の感慨が、ただちに読者の胸に迫り、そよ吹く春の浦風も見にしみて感ぜられるのである。