あお ふえ
松口 月城
1887 〜


いちたに軍営ぐんえい ついささ えず
へい まつ ひと をしてかな しましむ
戦雲せんうん おさ まるところ 残月ざんげつ
さい じょう ふえかな きしものたれ
一谷軍営遂不支

平家末路使人悲

戰雲収處有残月

塞上笛哀吹者誰

(通 釈)
一の谷の合戦で、平家の軍勢は源氏に押されて、結局支えきれずに敗走するに至った。その哀れな末路は、聞く人を悲しませずにはおかない。
さて、この争いも、源氏の勝利に終って見れば、明け方の空には残月がかかっていて、平家の陣営のほうから聞こえてくる笛の音が、いかにももの悲しい。激しい戦いの場にあって、かくも、見事に笛を吹く者は、いったい誰であろうか。

○軍営==陣屋、陣、平家の陣営。
○不支==支えきれない。敗れる。
○末路==一の谷の合戦に敗れ、忠度、道盛らの勇将は戦死し、生き残った者もただ敗走するばかりだった平家の惨状。
なお、敦盛は軍船に乗り遅れ、熊谷直実に斬られた。
○塞上==自軍 (平家方) の陣営の辺り。
○笛哀==敦盛の吹く笛の音が哀しげに聞こえてくる。


(解 説)
源平・一の谷合戦の 「青葉の笛」 にまつわる敦盛哀話を詠じたもの。
安徳天皇の寿永三年 (1184) 二月七日、源氏と平家は攝津国武庫郡一ノ谷で戦った。
このときの平家の若武者平敦盛は愛笛 「青葉の笛」 を携えて合戦に臨んだが、武運つたなく敗れ散った。
陣中に敦盛の吹く悲しげな笛の音は敵味方の心に響くものがあったという。
この薄幸の武将敦盛にまつわる哀話を素材に作ったもの。

(鑑 賞)
昔から伝えられている 「青葉の笛」 にまつわる敦盛の哀話を漢詩に詠じたもの。
起句・承句で、平家の軍勢が、源氏の大将義経の襲撃を受けて、海上に逃れ、壇の浦に全滅するあわれな末路を懐古し、転句で、戦い終わって、軍船に乗り遅れた平敦盛が浜辺で吹く笛が哀しく響くさまを詠じている。
平易な語句を用いて、哀話をそのまま詠じているところが、松口月城らしいところ。
吟詠家のみでなく、剣詩舞道家にも広く愛されている。
※※関連HP⇒『青葉の笛』