南(なん) 朝(ちょう) の烈(れつ) 婦(ぷ) 姓(せい) は楠(くすの) 木(き) 許(ゆる) さず我(わ) が子(こ) の茲(ここ) に腹(はら) を屠(ほふ) るを 桜(さくら) 井(い) の遺(い) 訓(くん) 汝(なんじ) 忘(わす) れたるか 刀(かたな) を奪(うば) い死(し) を諫(いまし) め涙(なみだ) 目(め) に溢(あふ) る 正行(まさつら) 感激(かんげき) して誠(せい) 忠(ちゅう) を誓(ちか) い 血戦(けつせん) 幾(いく) たびか奏(そう) す竹帛(ちくはく) の功(こう) 君(きみ) 見(み) ずや斯(こ) の母(はは) 在(あ) って斯(こ) の子(こ) 在(あ) るを 忠(ちゅう) 孝(こう) 両(ふたつ) ながら全(まった) きは小(しょう) 楠公(なんこう)
南朝烈婦姓楠木 不許我子茲屠腹 櫻井遺訓汝忘焉 奪刀諫死涙溢目 正行感激誓誠忠 血戰幾奏竹帛功 君不見斯母在斯子在 忠孝兩全小楠公
(通 釈) 南朝の忠臣、楠正成の夫人は良妻賢母、まさに烈婦と称すべきであろう。 父、正成戦死の報に、子の正行が悲しみをこらえ切れず、仏間へかけ入って腹を切って死のうとすると、子の気持ちを十分に知りながら、正行に向かい、 「お前は桜井の駅の遺訓を忘れたのですか。父亡き後は、父の遺志を継ぎ、仇なす敵を討ちなさいということではなかったのですか。それを切腹とは何事ですか」 と刀を取り上げ、目に涙を浮かべながら、強く戒めた。 正行は母の強い言葉に、自分の弱さを恥じ、のみならず、感動して、改めて南朝のため、この身のあらんかぎり誠忠を尽くすことを誓い、その後、幾度となく出陣、鬼神も泣かせる働きをし、四条畷に散り、その名を歴史に留めた。 母が烈婦ならば、子もまた豪雄である。世に小楠公といわれる正行は、みごとに忠と孝との二つの道を全うした。これは烈婦である母の教育によるところが大きいといわなければなるまい。
○櫻井遺訓==正成が桜井の駅で、正行に別れる時に言い残した言葉。 ○竹帛功==歴史に残り、後世に伝えられるべきいさお。竹帛は竹簡と絵ぎぬ。昔は紙がなかったので文字は竹帛に書いていた。このことから竹帛は歴史をさす。