しょ せいしめ
安積 艮斎
1791 〜 1860


きみいましなかすみ はな

じんはなゆず

きみいましなかすみ つき

げつ しょう つきけつ

先哲せんてつ いん しみつと めて精研せいけん

なんいとま あってか げつ りゅう れんふけ らん

われ しょ せいけみ するさん じゅう ねん

ぎょう おお くは げつ って
戒君勿見墨陀花

花下美人花遜華

戒君勿見墨陀月

月下少婦月恥潔

先哲惜陰勧精研

何暇花月耽流連

吾閲書生三十年

志業多因花月捐

(通 釈)
親愛なる学生諸君。諸君に告げておく。諸君は勉学中であり、修業中の身である。
墨田川のほとりで花見などに浮かれてはならない。あのあの近辺は、桜の花もその美しさには恥らうほどの美人が徘徊して、酔歩の袖を引き、諸君をとりこにする。
墨田川のほとりで月見などに浮かれてもならない。光の下に、月も恥らう妙齢の女性がいて、諸君を誘惑するに違いないからだ。
いったい諸君は何の為に笈を負い、故郷を後にしたのか。学業を成就せんがためではなかったか。
そうした女性は諸君の堅い決意も、直ぐと鈍らせ、蕩かしてしまうものなのだ。
古の先哲・賢哲は、ちょっとの時間も惜しんで勉学に励んだものである。
ましてや、諸君は修業中のみである。どうして花見や月見にうつつをぬかし、色香に耽る暇などあろうか。一日たりともないはずである。
私は諸君のような青襟の学生を三十年も見てきているが、せっかくの大志も学業も、多くの場合、女性の色香によって、これを捨ててしまうことが多い。くれぐれも心してほしいものである。

○遜華==美人に花も顔負け、の意。  ○少婦==若い女性。
○潔==容姿が秀れていて、美しく品があることを意味する。
○惜陰==わずかな時間も惜しむ。
○花月==度を過ごした風流事。
○流連==遊行の楽しみに耽って家に帰るのを忘れ、飲酒の楽しみに耽ること。
わが国では流連を “いつづけ” と読み、花街で日を送ることを言う。


(鑑 賞)
お説教の詩である。若者に対して、遊びにうつつをぬかさず学業に励め、という。
つまり、固いことを言っているのだ、が墨田の花と月を引き合いに出した当意即妙のうたいぶり、毎句に押韻した型破りな形式 (栢梁体という) が、この詩を面白くしている。これなら若者も耳をふさがずに聞くだろう。艮斎先生の粋なお説教といったところ。
ちなみにその門下生からは、岩崎弥太郎・粟本鋤雲・藤森竹韋・松本奎堂・三島中州など多くの俊才が育っている。