李 白
701 〜 762


ちょう あん いつ ぺんつき

ばん ころも つのこえ

秋風あきかぜ いて きず

すべぎょく かんじょう

いず れの りょたいら げて

りょう じん 遠征えんせい めん
長安一片月

萬戸擣衣聲

秋風吹不盡

總是玉關情

何日平胡虜

良人罷遠征

(通 釈)
澄みわたった長安の夜空に月がひとつ下界を照らしており、どこの家からも砧を打つ音が寂しく聞こえてくる。
そしてさらに、秋の風は絶え間なく引き続けている。月光・砧の音・秋の風、これらすべて、家に留守している妻の、玉門関にいる夫を想い慕う情を引き起こすものである。
いったい、いつになったら、愛する夫は西北の異民族を平定して、無事に帰ってくるのであろうか。その日が待ち遠しいことである。

○一片月==あたり一帯に光を注ぐ月。
○万戸==どこの家も、すべての家が。
○擣衣声==砧を打つ音
○総是==上の三句を承けて、月・砧を打つ音・秋風、これらのののすべてという意。
○玉関==玉関門のこと。 ○良人==夫のこと。


(解 説)
子夜呉歌は楽府題の一つ。 「子夜歌」 ともいう。長江下流の呉の地方に流行した歌曲で、東晋の時代に子役という女性がこの曲を作ったが、その曲調ははなはだ哀切だったという。後に人がこれに倣って四時行楽の歌詞を作り、これを 「子夜四時歌」 と称した。 東晋の都は昔の呉の地にあったことから 「子夜呉歌」 とも言ったのである。
李白のこの詩も春・夏・秋・冬 の四首から成っていて、これは、その秋の詩である。
この詩は、長安にいる妻が明月の夜に、出征兵士の夫を慕う情を述べたものである。

(鑑 賞)
「子夜歌」 はもともと南方の歌である。それを李白は、北の長安の都で留守を守る若妻の歌に仕立てた。
原詩のもつなまめかしさに、しとりとした愁いの情がとけあって、新しい詩が出来たのである。
李白は、古い歌に題材をとって、新しい歌声を作り出すことを積極的に推し進めた。
李白の大きな特色の一つである。
時は秋の夜、くまなく照らす満月 (視覚) 、かなしく響く砧 (聴覚) 、吹きやまぬ秋風 (触覚) と、いろいろな感覚に訴えて、さびしさはいやます。 それはすべて、玉門関にいる夫を思う情をそそるのだ。
最後の二句は、意味の上で蛇足だとして削るものがあるが、ここで、 「いったいいつになったらえびすをやっつけて帰ってくるの」 と若妻に言わせることにより、纏綿たる情緒がただようのである。
作者はわざと六句の古詩にしているのだから、これを四句の絶句にしてしまうのは、作者の意図を無視することになる。