(通 釈)
澄みわたった長安の夜空に月がひとつ下界を照らしており、どこの家からも砧を打つ音が寂しく聞こえてくる。
そしてさらに、秋の風は絶え間なく引き続けている。月光・砧の音・秋の風、これらすべて、家に留守している妻の、玉門関にいる夫を想い慕う情を引き起こすものである。
いったい、いつになったら、愛する夫は西北の異民族を平定して、無事に帰ってくるのであろうか。その日が待ち遠しいことである。
○一片月==あたり一帯に光を注ぐ月。
○万戸==どこの家も、すべての家が。
○擣衣声==砧を打つ音
○総是==上の三句を承けて、月・砧を打つ音・秋風、これらのののすべてという意。
○玉関==玉関門のこと。 ○良人==夫のこと。
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(解 説)
子夜呉歌は楽府題の一つ。 「子夜歌」 ともいう。長江下流の呉の地方に流行した歌曲で、東晋の時代に子役という女性がこの曲を作ったが、その曲調ははなはだ哀切だったという。後に人がこれに倣って四時行楽の歌詞を作り、これを
「子夜四時歌」 と称した。 東晋の都は昔の呉の地にあったことから 「子夜呉歌」 とも言ったのである。
李白のこの詩も春・夏・秋・冬 の四首から成っていて、これは、その秋の詩である。
この詩は、長安にいる妻が明月の夜に、出征兵士の夫を慕う情を述べたものである。
(鑑 賞)
「子夜歌」 はもともと南方の歌である。それを李白は、北の長安の都で留守を守る若妻の歌に仕立てた。
原詩のもつなまめかしさに、しとりとした愁いの情がとけあって、新しい詩が出来たのである。
李白は、古い歌に題材をとって、新しい歌声を作り出すことを積極的に推し進めた。
李白の大きな特色の一つである。
時は秋の夜、くまなく照らす満月 (視覚) 、かなしく響く砧 (聴覚) 、吹きやまぬ秋風 (触覚) と、いろいろな感覚に訴えて、さびしさはいやます。
それはすべて、玉門関にいる夫を思う情をそそるのだ。
最後の二句は、意味の上で蛇足だとして削るものがあるが、ここで、 「いったいいつになったらえびすをやっつけて帰ってくるの」 と若妻に言わせることにより、纏綿たる情緒がただようのである。
作者はわざと六句の古詩にしているのだから、これを四句の絶句にしてしまうのは、作者の意図を無視することになる。 |