げつ ぎん
藤野 君山
1863 〜 1943


おく ことだんせん しょうつき

月樓げつろう ふえもてあそ万林ばんりんはな

こう 漠漠ばくばく たり てんつき

げつ しょく 朧朧ろうろう たりげつ はな

うと うてきみ つきたい

月前げつぜん さけあたた めてわれ はな

はな ひらはな こんつき

つきつききた晨夕しんせきはな

花屋彈琴千嶂月

月樓弄笛萬林花

花香漠漠花天月

月色朧朧月地花

花下哦詩君對月

月前温酒我看花

花開花落古今月

月去月來晨夕花


(通 釈)
花見の館のあって、琴を弾じながら遠く長びく山の稜線の上に輝く月を仰ぎ、月見の楼にあって、笛を吹きながら、幾重にも咲いた花を見やれば、その花の香は馥郁と広がって、天の月の光に達し、月はおぼらな光を放って地上の花を照らしている。
風流な君は、花に興じ、詩を吟じて、月を仰ぎ、自分は月光の中に酒を温めて花を見る。
花は開き、また散る。その花を照らす月は昔も今も同じ。月が沈みまた昇る、その月に照らされる花は朝に咲き夕に落ちるのだ。

○花屋==花を観賞する館。花見の家
○千嶂== <嶂> は峰。峻しく連なる峰々。ここでは、月の光によって陰影の濃くなったさま。
○晨夕==晨昏。朝夕。旦暮。晨暮。


(解 説)
花を愛し、自然を愛した作者が、花と月の光景と、それを愛でる心情を詠じたもの。
第一句では花見の館で琴を弾じながら見る月、第二句では月見の楼で笛を奏しながら見る花、第三句では花の馥郁としたひろがり、第四句では花を照らす月の光などを詠じ、後半四句でではそうした花月を観賞しながら酒を飲み、詩を吟じるここちよさと、そのここちよさはまた、神が与えてくれた自然の摂理でもあると詠じている。

(鑑 賞)
日本人は昔から花鳥風月を愛する。これが日本人の民族性の一つでもある。行住坐臥、日常生活の中で花を見、月を見て、自らの心に休息を与え、また、自然と対峙しながら、人生を考え、世の移りを考える風習が昔からよく行われてきた。
そのため、万葉の昔から、花鳥風月を詠じた詩は数え切れない。江戸以降盛んになった漢詩文学の上でも、花や月がよく題材とされている。
この詩も、そうした詩の一つで、花が咲いて地に落ち、月がその花を照らすという、絵のような美しい光景が端的に表出されている。
各句の頭尾字を花月、月花とし、第一句・第二句、第七句、八句を対とし、全体格の構成をとる。一種の文字遊戯ともとれるが、その文字を巧みに配することによって違和感を与えない。