げつ こう じょうきょく
水野 豊洲
1889 〜 1958


えい 盛衰せいすいいち じょうゆめ

そう おん しゅう ことごと塵煙じんえん となる

ほし うつもの かわ るはせつ こと

歳月さいげつ 怱怱そうそう いてかえ らず

へん つづ興亡こうぼうあと

ちょう るい 幾回いくかい ぜんそそ

こん こう じょう げつ きょく

あい しゅう 切切せつせつ 當年とうねんおも

栄枯盛衰一場夢

相思恩讐悉塵煙

星移物換刹那事

歳月怱怱逝不還

史編讀續興亡跡

弔涙幾回灑几前

今夜荒城月夜曲

哀愁切切憶當年


(通 釈)
この世の栄枯盛衰は、その場かぎりの、わずかな間の夢に過ぎない。
時がたてば、お互いの喜びの感情も、またうらみの情も、ことごとく雲か霞のように消えてしまう。
星が移り、物事が変化していくのも、ほんの少しの間のことである。歳月はどんどん過ぎ去って帰って来ないのである。
そうした無情の世の移り変わりを考えながら、栄枯盛衰の歴史のあとを振り返るとき、その儚さが胸にしみ、自然と涙が出て来る。
月の光の中で、 「春高楼の花の宴、めぐる盃影さして・・・・・」 と、あの荒城の曲を聞いていると、栄枯盛衰のあとがしのばれて、哀愁切々と胸を打たれる。


(解 説)
月明の夜。土井晩翠作詩、滝廉太郎作曲の不朽の名作 「荒城の月」 を聞いて、その感懐を述べたもの。
第一句から第四句にかけて (栄枯盛衰は一場の夢) (歳月怱々逝いて還らず) と、世の無情を述べ、第五句から第八句にかけて、 「天上影は変らねど、栄枯は移る世の姿、写さんとてか今もなお、ああ荒城の夜半の月」 という名曲 「荒城の月」 の詩情にひたると、哀愁切々たるものがあると詠じている。

(鑑 賞)
栄枯盛衰は世の習いとは、主として豪族・武将・権勢家などの転々急なさまを表すのに用いられているが、本詩は、この命題をむしろ、歴史の場に登場しない一般の世の人びとの儚いさまに見立てて、しみじみと描いている。