さい ちゅう どく しょ
謝 靈運
南北朝、宋 (385 〜 433)

昔余遊京華

未嘗廢邱壑

矧乃歸山川

心跡雙寂漠

虚館絶諍訟

空庭來鳥雀

臥疾豊暇予

翰墨時闕

懐袍觀古今

寢食展戯謔

既笑沮溺苦

又哂子雲閣

執戟亦已疲

耕稼豈伝樂

萬事難並歡

達生幸可託

むかし われ けい あそ べども
いまかつきゅう がく てざりき
いわ んやすなわ山川さんせんかえ るおや
心跡しんせき ふたつ ながら寂漠せきばく たり
きょ かん そう しょう
空庭くうてい ちょう じゃく きた
やまい して ゆた かに
翰墨かんぼく つく
懐袍かいほう こん
しん しょく ぎゃく
すで できわら
また うんかくわら
執戟しつげきまた すでつか
こう あに ここたの しまんや
ばん なら びによろこがた
達生たつせい さいわいたく


かって都で官に就いていた時も、山水を恋う情を捨てたことがなかった。ましてこのような山水の豊かな土地に帰ってきてはなおさらのこと、心も仕事も共に穏やかである。
人気のない役所には訴え事などもなく、静かな庭には鳥や雀が来て遊ぶ、病んで床に伏している時ものどやかで楽しく、時にふれて詩文をなども作ってみる。本を読んでは胸中に古今の思いを抱き、寝食の間にも戯れ言をかわしたりする。
長沮や桀溺の苦しみを笑い、揚雄の天禄閣の禍も今の私にはおろかに見える。
揚雄のように戈をとって宿衛するのも苦労な話であるし、長沮・桀溺のような野良仕事もとても楽しそうには思えないからである。
世の中のことは万事につけ、喜びを共にすることは出来ぬもの、ただ見を保ち、生を全うするという達生の理にこそ吾が身を託したいものである。