鸚鵡は来って呉江 (揚子江) を過ぎ、江上の洲に鸚鵡の名を残した、やがて、鸚鵡は西の隴山の方へと去り、今は湖上に樹が青々と茂っているばかりである。
鸚鵡は来るも去るも自由であるが、後漢、黄祖の太子射の求めにより 「鸚鵡の歌」 を作った禰衡は、侮慢なるが故にこの洲で殺されてしまったのは気の毒なことであった。
今しも洲上には春霞たなびき蘭葉を開き香風が暖かに吹き渡り、洲と岸とが相対して桃花が咲き乱れ、水に映じた影は、あたかも錦浪が湧き上がったかと思わせるほどだ。
自分は今配流の身、禰衡の不遇に同情するものであるが、この時、洲上に立って遠く見渡せば、一片の孤月が一面に照り渡っている。一体誰のために照っているのであろうか。
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